「明日、間に合うな」なら「アスタ・マニャーナ」
筆者はスペインでイベントの企画・開催をする日系企業で4年働いている。日本人の自分から見て、スペイン人の働き方を端的に表していると感じる言葉が「アスタ・マニャーナ(また明日)」だ。 赴任から日が浅く、「スペイン的」な感覚がまだ身についていなかったある日の夕方のこと。ベテラン男性スタッフのペペに少々急ぎの仕事を依頼した。その日の終業時刻に間に合わせられるかどうか、という業務だったが、明日は明日で予定されていた業務がある。自分の「日本的な感覚」では、多少残業となるかもしれないが、明日以降のために「オッケー、今から始めるね」となることを期待していた。 だがペペは当然のように、「これは明日ね」と言い切った。いつも慣れた様子でてきぱきと仕事をする彼の意外な言葉に、思わず私は「今日やっちゃったほうが、明日楽になるんじゃないの?」と尋ねた。するとペペは驚いた顔で、「今から新しい仕事をするの? なんで?」と言うと、業務終了の5分前にはさっさと帰り支度を始め、18時の終業と同時にオフィスを出て行ってしまった。「アスタ・マニャーナ」の言葉とともに。 スペイン人はよほどのことがなければ残業をしない。なにもサービス残業をしろというのではなく、もちろんその分の残業代は出るのだが、それでもよっぽどの事情でない限りは「次の日に先送り」が当然だ。これは世界的にも仕事に生真面目とされるわれわれ日本人との比較だけでなく、ほかの欧州人からも「スペイン人は何でもアスタ・マニャーナ」とやゆされる。これを私は〈「明日、間に合うな」なら「アスタ・マニャーナ」の法則〉と呼んでいる。

オフィスビルの裏で、タバコ・コーヒー休憩を取る人々
新制度の導入を働きかけ
だが、そんなスペイン人でも自ら進んで残業や早朝出勤などの「時間外労働」をするときがある。「夏のバケーション」のための、「休暇調整」が必要なときだ。 常日頃、「ウチには小さい子供がいるから絶対に勤務時間の変更ができない」と宣言していた30代女性スタッフのマリアの話。子供の学校行事で1日休みを取った後、マリアは社内で「やむを得ない理由で休んだとき、後から時間外労働をすれば、有給休暇は消費しなくてもいい所もあるらしい。ウチもそうしたほうがいいんじゃない?」と、スペインの別の会社の事例を持ち出し、われわれのオフィスでもルールの改正をするように上司に働きかけを始めた。 いろいろな会社の事例を検証し、スペインの法律を調べては、毎日上司にメールを送り続けた彼女の熱意により、やむを得ない休みを取った場合は残業・早出で穴埋めができるという新ルールが適用された。すると、いつもは子供の送り迎えがあるから残業ができなかった彼女が、疲労で毎日目を真っ赤にしながらも、有休消費分を取り戻すまで本当に残業・早出を続けたのである。 マリアはなぜそんなことをしたのか。8月に有休を全部使って、1カ月のバケーションを取る計画があったからだ。「お子さんはどうしてるの?」と聞くと、「今回だけ子供の世話は夫に交代してもらって、特別に残業するのよ!」と言っていた。 会社に掛け合って新ルールを適用させた彼女のケースは少々特別だが、夏のバケーションに情熱をかけるのは、多くのスペイン人に共通するようだ。少なくとも私の知るスペイン人は、それぞれのバケーション計画に必要な有休の日数を把握し、確実に休めるようにすることを標準的な行動パターンにしている。 スペインでは職種や契約内容にもよるが、正社員ならたいてい、1年間で20日余りの有給休暇が付与される。夏のバケーションでは、その有給休暇と土日を合わせて、長い人なら1カ月超、たいていは2週間程度の休みを取る。 全員が8月にそんなに長い休みを取ると、オフィスが空っぽになってしまいそうなものだが、そこは意外と協調性のあるスペイン人、夏が近づくにつれ、スタッフの間で少しずつスケジュールの調整が始まる。 「夏のバケーションなんだけど、10日くらいカナリア諸島に行こうと思ってるの。日程はまだ決めてないんだけど」 「あー、いとこの結婚式があるから、8月の第1週は譲ってもらえるとうれしいな」 「わかった! じゃあその週以外でスケジュールを整えるね」 6月ごろからぽつぽつ、同じ業務を担当しているスタッフの間でこんな会話が繰り広げられる。
「夏」とは「休暇のための季節」
「なぜ夏のバケーションはそんなに大事なのか?」とスペイン人の友人に尋ねてみたが、彼女はとても変な顔をして、「世界中どこでも、夏のバケーションは一番大事でしょ? 当たり前じゃないの」と首をかしげた。最初、私の質問の意味が理解できなかったようだ。それほどまで、夏のバケーションは彼らにとって当たり前のものだ。 しかしその後、他の友人たちも寄ってきて、「テラスやビーチで過ごすのは夏が一番」「子供の学校も休みになるし、家族で旅行をするのにもちょうどいい」と、口々に夏のバケーションがなぜ特別なのか、その理由を教えてくれた。気候のいい場所で、家族みんなでのんびり過ごすことは、スペイン人にとって、何物にも代えがたいことのようだ。

ビーチの様子 興味深いことに、日本のツアー旅行のように、短時間でいろいろな場所を観光する旅行をするとき、彼らはそれを「バケーション」と呼ばない。たとえ海外旅行をするとしても、バケーションはあくまで、ビーチや避暑地で何日ものんびり過ごすのが主な目的なのだ。 スペイン語には「veranear」という単語がある。これは「夏」を意味するveranoから派生した動詞で、直訳すると「夏をする」になるが、スペインではもっぱら「夏の休暇を過ごす」という意味で使われている。スペイン人にとって、夏とはつまり、休暇を過ごすための季節に他ならないのだ。
必要なときはちゃんと働いてくれる
ここまで書くと、スペイン人は休暇のことしか考えていないように思われるかもしれない。確かに日本人と比較すると、休暇を優先しすぎているように見えなくもないが、スペイン人の名誉のために言えば、決して仕事をないがしろにしているわけではない。 あるイベントの設営準備が遅れたときのこと。数カ月前から慌てている日本人をよそに、スペイン人スタッフたちは終始「ノー・パサ・ナダ(大丈夫)」と楽観的だった。だが開催が数日後に迫り、いよいよ通常通りの業務では間に合わないとなったときには、誰一人「アスタ・マニャーナ」と言うことなく、全員が現場に残って深夜まで黙々と作業に当たり、オープニングまでに全ての準備を完了させた。本当に必要となったときは協力してくれるので、今までイベントが中止や延期になったことは一度もない。
全ては「ビバ・ラ・ビダ(人生万歳)!」
普段はマイペースに見えるスペイン人も、本当に必要なときだけは時間外労働も辞さない。そんな彼らの姿勢を見ると、逆に自分たち日本人は「本当は必要ではないとき」にも時間外労働をしているのではないかという感覚になることがある。 休みを労働者の当然の権利とし、まずはその確保に向けて全力を注ぐスペイン人は、休暇を楽しみ、家族・友人たちとの時間を大切にしている。仕事はバケーションのためにするものであり、「仕事をするために生きている」という人間はいないのではないかと思う。日本で問題になる「過労死」は、スペイン人からすると遠い国のおとぎ話のようなものらしい。 スペインでの仕事に慣れてきたとはいえ、「最終段階で慌てて間に合わせるくらいなら、前もって計画的に業務を進めてほしい」という感覚がなくなるわけではない。「アスタ・マニャーナ」とにこやかに言われ、「本当に明日でいいの?」と思うことは今でもよくある。 だが、日本人がそうそう取らない長期バケーションの土産話をうれしそうに話す彼らを見るたび、「なんのために働くのか」ということを考えさせられる。生活を向上させるために働いているはずが、仕事優先で「人生を楽しむ」ことをないがしろにするのは、どこか本末転倒な感じがしないでもない。 経済危機からたびたび廃止も議論されているが、昼食にワインを飲み、シエスタ(昼寝)をしてから午後の業務に復帰するという文化の残る国、スペイン。「ビバ・ラ・ビダ(人生万歳)!」と歌う彼らにとって、仕事もバケーションも全ては「人生を楽しむ」ことに帰結する。 編集注:この記事はライター個人の見解をまとめたもので、ビズリーチの見解を示すものではありません。 本記事についての簡単なアンケートにご協力をお願いします。 アンケートはこちら
掲載日:2023年10月30日