「組織心理」研究の第一人者が生んだ、「個人」の分析法
「キャリア・アンカー」は、米マサチューセッツ工科大学(MIT)スローン経営大学院の名誉教授だった故エドガー・H・シャイン氏が提唱した理論で、その理論を用いた診断ツールのことを指します。アンカーとは船の錨(いかり)のこと。波風にさらされても船を一定の位置にとどめる錨のように、たとえ所属する組織が変わっても変わることのない個人のキャリア上の価値観を指すとされます。 シャイン氏はもともと組織開発の研究者で、「組織心理学」という研究分野のパイオニアです。そんなシャイン氏が、個人の価値観に注目するようになったのはある研究の「失敗」がきっかけでした。 氏の研究成果を紹介する「日本語版エドガー・シャインポータルサイト」によると、シャイン氏はMITの卒業生を対象に、卒業後何年にもわたって追跡インタビューをし、所属組織が個人の内面にどんな影響を与えるかを調査しました。しかしはっきりとした結論は出ず、研究はうまくいきませんでした。しかし、その際に「思わぬ成果があった。調査協力者のなかには転職して他の会社へ移っても、あるいは同じ会社内の異動で仕事が以前と異なる内容になっていても、自分個人のなかでずっと大切にし、何度かの節目をくぐっても変わらず貫いているものが存在していた」(同ポータルサイト)のです。 シャイン氏が初めてキャリア・アンカーに関する論文を著したのは1975年。同理論はその後世界中に広がり、ビジネススクールや、キャリア診断、組織開発の現場になくてはならない理論として定着しています。
キャリア・アンカーは8分類
さて、キャリア・アンカーには具体的にどんなものがあるのでしょうか。シャイン氏によると、個人のキャリア・アンカーは8つに分類されます。
専門/職能別能力
経営管理能力
自律/独立
保障/安定
起業家的創造性
奉仕/社会貢献
純粋な挑戦
生活様式
例えば「専門・職能別能力」を重視するタイプの方は、いわゆる「専門家」として能力を発揮したい人とされます。身につけた専門スキルを発揮することにこだわり、スキルに関係の薄いマネジメントなどには関心をあまり示しません。専門スキルを発揮しにくい職場や環境にストレスを感じ、仕事に対する意欲が下がる傾向にあります。 「奉仕・社会貢献」を重視するタイプではどうでしょう。こちらは、自身の能力を発揮することにはあまり興味がなく、他者の役に立つことを好みます。「世の中をよくする」ことに意義を見いだし、逆に誠意を感じにくい仕事に関与することに強い抵抗を覚えるとされています。 このように、8つのタイプはそれぞれ重視する価値が異なり、ストレスや不満を感じる環境も異なります。自身がどのタイプかを知ることで、転職時にどんな会社を選ぶべきか、判断しやすくなります。 では、自分がどのタイプかを知るためにはどうすればいいのでしょう。シャイン氏は著書のなかで、それを診断するための40項目を明らかにしています。「『この仕事ならあの人に聞け』と絶えず専門家としてのアドバイスを求められる分野でうまくやっていくことを目指す」といった項目に、どの程度当てはまるか回答していくと、自分がどのタイプか分かるというものです。インターネットには無料で診断できるサイトもあります。
対となる「キャリア・サバイバル」という概念
キャリア・アンカーは、いったん確立されるとなかなか変わりにくいとされています。20代などまだ経験の浅いうちは変化することがあるともいわれますが、一定の経験を経たあとはほぼ変わらず、だからこそ重要な判断の基準にしやすい面があります。 注意したいのは、自身のキャリア・アンカーが分かったからといって、「適性のありそうな職種や職場でしか働くべきではない」と硬直的に考えるのは避けるべきということです。 シャイン氏はキャリア・アンカーの対となる概念として「キャリア・サバイバル」という考えも示しています。これは自身の価値観と、組織や環境が求めるニーズとの調和を図ることを意味します。 いくら自身の価値観を重視して働こうと思っても、それを満たせる職場や環境がなければ生活に必要な収入を得ることはできません。キャリア形成をするうえで大事なのは、自身のキャリア・アンカーを意識しつつも、社会や組織のニーズを把握しそれに可能な範囲で適応していくことなのです。 産業構造の変化が速まり、「終身雇用」が重視された日本においても、働き手がキャリアの選択を迫られやすい時代になりました。キャリア・アンカーを無視して社会の要請にこたえ続けるのは苦しく、逆にキャリア・アンカーにこだわりすぎるあまり組織のニーズを無視しては、十分な収入を得られない懸念があります。2つの考え方を参考にして自分なりの落としどころを見つけることこそ、転職活動の要諦といえるかもしれません。 本記事についての簡単なアンケートにご協力をお願いします。 アンケートはこちら
掲載日:2024年2月6日