<お話を伺った方> 名前:石山博之(いしやま ひろゆき、仮名)50歳 所属:株式会社識学(2021年〜)
5社以上に勤め、40代後半で独立
簡単にご経歴を伺えますか。
新卒で大手証券会社に入りました。実家が呉服屋を営んでおり、当時は将来的に家業を継ぐことが頭にありましたので、営業スキルや金融の知識をつけようと思ったんですね。その後、技術系の人材派遣会社に移り、父が亡くなったこともあって、いったん家業を手伝っていました。 ただ呉服屋の営業はどうしたらいいのかわからず、なかなか熱が入らなかったように思います。結局1年半ほどで、証券会社時代の知人の紹介を受けて外資系の大手生命保険会社に移りました。ここには9年ほどお世話になりましたが、そのうち7年は社内表彰を受けるなど、実績も上げていましたし、充実した時を過ごしていました。これといった不満もありませんでしたが、岐阜県で小規模な郵便局の局長をしていた義父が定年退職を迎えるというので、その後任で10年、郵便局長をしていました。 40代半ばで郵便局長を辞めた後、2社で営業職を務めましたが、組織で働くことに自分は向いていないのではないかという思いが強まり、消去法のような形で2019年に独立。ファイナンシャルプランナーの資格を生かして資産運用などの塾を経営していました。

郵便局長というと、一般的には「安定した職業」と見られると思いますが、そこを出ようと思われたのにはどんなお考えがあったんですか。
今思えば、自分の立場やスキルなどをわかっていなかったんだと思います。そこからは独立したことも含めて、自分のなかでは「迷走期」だったかなと思っています。 保険会社などでの経験がありましたので、郵便局でも簡易保険などの営業は得意でした。実際に成果も上げていたので、自分の局の管理の他に、同じ地域にある14局の保険営業の統括をしていました。各局の営業担当職員を計40〜50人ほど抱え、営業計画を立てて、ご飯をおごったりしながら動いてもらって、という感じです。 ただ、営業の統括をしていると、場合によっては各局の担当職員に、所属する局の局長を飛ばして指示することなどもあります。組織の中で誰に話を通しておけばいいのかということは見極めていたので、問題になるようなことはありませんでしたが、心の中ではそうやって大組織の中でうまく立ち回ることに嫌気が差してきていました。うまく表現できませんが、40代半ばになった頃、このまま郵便局長を続けた場合の将来像を想像して「このまま人生終わりたくない」と思うようになりました。 郵便局に入る前の外資系の生命保険会社では、個人の裁量が大きく、結果を出せば報いられるという環境でした。上司も過度に介入しませんし、自分としては非常に居心地がよかったわけです。そうした記憶もあり、いわゆるマネジメントから離れて、自分の裁量で自由に仕事をしたいという思いもあったのだと思います。
募った「組織で働くことへの苦手意識」
その後独立するまでは、どういった経緯だったのですか。
郵便局を出た時は、マネジメントから離れれば楽しく仕事ができるだろうと考えていました。でもその後に入社した自動車ディーラーはいわゆる「上司が絶対」の組織で、望んでいた自由な裁量は全くなく、うまくいきませんでした。 その次は経験のある保険業界に戻ったのですが、こちらもしっくりきません。保険営業で数字を追うと、どうしてもお客さんが不安を持つようなトークをしたり、場合によっては、言葉は悪いですが、売りつけたりといった場面が出てきがちです。郵便局時代からそうした部分に疑問を持っていたので、逆戻りしてしまったような感覚になりました。 なかなか転職がうまくいかないなかで、だんだん「これは自分が組織に向いていないのだ」と考えるようになりました。そこで自分の経験を生かせる事業を考えて、資産運用や投資について学べる塾の経営を思いついたという流れです。知識やノウハウを教えるのならば、「売りつける」といった心配が少なく、積極的に営業をかけていけると思いました。

「組織順応」に対する苦手意識が、独立の要因の一つだったわけですが、なぜ再び組織の一員になることを選んだのでしょうか。
きっかけは、自分自身が理念としての「識学」を学んだことでした。新聞広告で識学の存在を知り、組織を活性化するための理論を独学することから始めて、すぐに正式にコンサルティングをお願いしました。 事業は1人で営んでいたのですが、お客様である塾生の満足度を高めようとすると、組織論は必要になってきます。自分自身、あまり上司や教師などから口を出されるのを好まないタイプでしたので、識学を導入するまでは塾生に課題を出したり負荷をかけたりするやり方は敬遠していました。しかし筋力トレーニングと同じで、必要な負荷を適切なやり方で加えると組織は活性化します。実際にそうした理論を教室で実践したところ、講座に対する満足度が顕著に上がったのです。 それまで自分は組織を全否定し「組織の中で人は成長させられない」と思っていました。しかし識学をベースに組織運営をするうちに「組織の中で人は成長させられる」と感じるようになったんです。自分が組織の中で抱えていた悩みの答えは、識学の中に全部ある。自分が間違っていたと気が付きました。そして、識学を世の中に広めたいという思いが募っていたんです。
50歳でも遅すぎることはない
識学への入社はすんなりと決まったのですか。
いえ、実は一度選考に落ちているんです。まだ識学の理論を学び始めて間もない頃に受けたのですが、その時は見事にだめでした。でもそこから半年、理論を学んで自分でも効果を実感すればするほど、「自分でもできたのだから、同じ悩みを持つ人にこれを伝えたい」という思いは強まり、担当の社員の方にお願いしてもう一度受けさせてもらいました。 選考で年齢について聞かれるようなことはありませんでしたが、それでももう50歳でしたし、自分でも難しいかもしれないという思いはありました。でも「収入はどんなに低くてもいい」などと面接で訴えたところ、最終的には経営幹部の方から「石山さんの執念に負けました」と言われましたね(笑)。
実際にお仕事をされて、いかがでしょう。
とても充実しています。識学を学び始めてから「自分は組織から逃げ、人生で大きな忘れ物をしてきてしまった」といった感覚を覚えるようになっていました。それが実際に識学で働くようになり、解消されました。このことが大きいと思います。 自分自身、理論やサービスの価値を体感しているので、お客様にも自信を持って営業できていることにも、充実感を得ています。

ご自身の経験を振り返って、キャリア形成のために大事だと思うことはありますか。
まずは、経験として無駄になることはないということですね。独立したことも含めて、確かに迷走していたように思いますが、自分の糧になっていることもたくさんあります。ですので、そうした時間が一概に「無駄だった、間違いだった」とは思いません。独立して、自分がゼロから売り上げを作ったことは大きな自信になっていますし、元々の営業に加え、塾での講師経験も今の仕事に役立っています。 大事なのは「自分の立ち位置やスキルなどを見失わない」ということでしょうか。郵便局を辞めた時は、「こうしたい」という思いが先行して、自分のスキルや働く環境などを十分に吟味せずに走りだしてしまった気がします。これが迷走の要因でした。 一方で、立ち位置やできることを意識しすぎると、今度は挑戦に向かいにくくなってしまいます。自分を見失わず、挑戦する気持ちを持つ。この両立が重要なのだと思います。 行動を続けることも大事です。郵便局を辞める時には、周囲から反対もありました。確かに拙速に行動した部分もあったかもしれません。でも、じゃあそのまま我慢し続けることが正しかったのか、というとそうは思いません。回り道をしましたが、行動をしたおかげで「忘れ物」を回収し、今は満足できる仕事に就くことができました。 人生100年時代といわれるなかで、50歳はようやく折り返し地点です。「生き直す」のに遅すぎることはないだろうと今でも思います。これからも挑戦を続けていきたいですね。 本記事についての簡単なアンケートにご協力をお願いします。 アンケートはこちら
撮影:的野 弘路 掲載日:2022年1月27日