元ミュージシャン志望のフリーター、劣等感からの逆転キャリア グローバル企業の部門責任者に

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世界的な物流不動産投資会社GLPのシンガポール本社で、経営企画責任者を務める潮田豊幸さん。英語を駆使し、多国籍のメンバーを率いる姿はグローバルに活躍するビジネスエリートそのものだ。だが大学卒業直後に選んだ道は「ミュージシャン志望のフリーター」。音楽で生きる夢が破れた後、どのように成功の道を歩んだのか。

潮田 豊幸

(うしおだ とよゆき)

2006〜2007年:株式会社プランナーズ・インターナショナル(マエダ不動産株式会社出向) 2008〜2009年:GEリアル・エステート株式会社(現:GEジャパン株式会社) 2009〜2012年:株式会社日本プロパティ・ソリューションズ 2012〜2018年:日本GLP株式会社 2018年〜:GLP Pte. Ltd.(シンガポール本社) 41歳

音楽をあきらめ英語学習に没頭、不動産業界へ

「そろそろ潮時かな…」。潮田さんがそう思い始めたのは、大学を卒業して1年ほどがたった頃のことだった。 両親は音響の仕事をしており、楽器店を営む親戚も複数いる。そんな環境で育った潮田さんは、ごく自然にミュージシャンの道を志した。大学生時代はバンドを組み、ボーカルとして活動。ライブハウスで演奏もしていた。しかし、大学卒業後フリーターをしながら1年ほど音楽活動をしたが、芽が出る気配はなし。大学時代の「絶対にプロになるんだ!」という決意はあえなくしぼんだ。 だが、「音楽以外の道は考えなかった」という潮田さんにとって、音楽の道を諦めるということは人生の指針を失うのと同じこと。学生時代も、就職活動を全くしなかったほどだ。

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今も音楽は趣味で楽しむ 夢を諦めて、次に何をするか。思いついたのは「英語をマスターする」ことだった。語学は苦手だったけれど興味だけは強く、汎用性がありそうなスキルに思えた。両親と相談のうえ、1年間のアイルランド留学を決める。あえてマイナーな国を選んだのは、日本人が少ない環境で効率よく学びたかったからだ。留学中は英語学習に没頭し、ビジネスシーンでも通用するほどに英語力を伸ばした。留学費用は両親に負担してもらった。

英語力があっても、厳しかった就職活動

帰国後、潮田さんは英語力を武器に初めての就職活動に臨む。しかし社会は甘くなく「(就職活動は)非常に厳しかった」。度重なる不合格。英語力はあっても、仕事の経験がないために即戦力としてみなされず、ことごとく落とされた。意を決して単身留学し、高い英語力を身に付けた実行力を評価してくれる企業はほとんどなかった。 初めての就職活動は苦難の連続だったが、ようやく外国人を対象に不動産を紹介する日本企業の目に留まる。就職口を見つけられたことには安堵したものの、胸の内には常に同世代の友人などに対する劣等感があった。 「周囲と同じように大学時代に就職活動をしていたら、もっといい会社に入れたんじゃないか」。就職先は中小企業だったため、「正直、ここから早くステップアップしたいという思いがあった」と潮田さんは明かす。

突然のクビ 「あなたにやってもらう仕事はなくなった」

それから、潮田さんは3度の転職を経験する。最初の転職は、大手外資系不動産投資会社のGEリアル・エステート株式会社(現:GEジャパン株式会社)。当時、不動産と金融の結びつきが非常に強くなり、「不動産金融」という言葉が急速に広がっていた。そうした背景から「不動産業界で生きていくなら、時代の最先端である不動産金融の領域で働かなければ」と考えた。 不動産投資は希望通りの業界で、潮田さんは同社で不動産金融のプロとしてキャリアを築いていこうと思いを新たにした。しかし営業社員として入社して、わずか1年も経たずにリーマン・ショックが起きる。 「潮田さんにやっていただく仕事は、なくなりました。早期退職を検討してください」 驚くほどあっさりと、事実上のクビを宣告された。あまりのショックで「何の感情も湧かなかった」と潮田さんはいう。 「時代の流れ的にどうしようもないと悟った。それなら、早く次を見つけようと気持ちを切り替えた」

営業から「ファイナンス」へ転向

この時、潮田さんは30歳。幸い、次の働き口はすぐに見つかった。株式会社日本プロパティ・ソリューションズで、不動産の資産管理を担当することになった。 「就職先は見つかったが、当時は危機感が拭えなかった。前職でまさか一斉に社員がクビになる状態だったとは思いもしなかった。いかに会社全体が見えていなかったか気付かされた」 会社全体がどこに向かっているのかを理解するにはファイナンス(財務)を知ることが必要と考え、米国公認会計士の資格を取得する。あえて米国の資格を選んだのは、日本の同資格より取りやすいとされていたことに加え、強みである英語を生かしたかったから。通信の専門学校に通い、毎日朝と夜に2時間勉強し、約2年で取得。さらに証券アナリスト、宅地建物取引士、ファイナンシャルプランナー2級、ビル経営管理士の資格も取得した。

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多くの資格を得て、潮田さんはステップアップを模索する。「不動産金融業界におけるファイナンスのポジション」に狙いを定め、1年ほどかけて転職活動をした。自身の経歴を「おもしろい」と評価してくれたのが、現在勤めるGLPの日本法人だった。

営業での経験と知識が飛躍のカギに

GLPは、物流不動産とその関連事業への投資に特化したファンドマネジメント会社で、世界17カ国に68のオフィスを持つ。役職は、日本法人である日本GLPでの経営企画部のマネージャー。主な役割は経営計画の策定や、それに伴う資本政策の検討だ。ここから潮田さんは、ほぼ1年ごとに5回の昇進を重ね、日本法人の財務経理執行役員を経て、シンガポール本社のグローバル部門責任者まで上り詰めた。 米国公認会計士の資格を取得したとはいえ、ファイナンスの実務経験はゼロ。そんな状況で、どうやって評価を得ていったのか。 「不動産ビジネスでの営業経験が生きた」と潮田さんは話す。

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シンガポール本社で、多国籍のメンバーと共に働く潮田さん

ファイナンス部門にとって、正確な収支予測を出すことは生命線だ。そのためには、営業に代表される他部署の社員と綿密にコミュニケーションをとらなければならない。しかし同じ企業でも、職種が違えば専門用語や考え方が異なることはままある。潮田さんは過去の経験で培った営業現場のビジネススキルを使い、経営陣や各部門の責任者と良質なコミュニケーションをとることに成功したのだ。 同時に、社内における部署の存在感を向上させることも意識した。ファイナンスは企業にとって非常に重要な業務にもかかわらず、業績に直結する売り上げをつくる営業部門に比べると脚光を浴びにくかった。そのため、部署の格差をなくすよう、バックオフィスのパフォーマンスを他部署に理解してもらうよう努めた。

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実は、2018年に本社のグローバル部門のトップになったとき、潮田さんは「チーム内でもっとも英語力が低い責任者に、ネーティブスピーカーのメンバーが付いてくるのか不安があった」という。赴任直後は、メールを送る前に文法をくまなくチェックするなど、ボロが出ないように必死だった。しかししばらくすると「開きなおって、自身ならではの現場経験やビジネス感覚をメンバーにシェアすることで、チームに貢献できると思えるようになった」という。

劣等感こそが成長の源

潮田さんは、シンガポール本社に勤務する唯一の日本人だ。日系企業の現地駐在員とは異なり、日本本社の後ろ盾があるわけではない。それはすなわち、個人としてパフォーマンスを発揮できなければ、立場は全く保証されないということだ。厳しい環境であることは間違いないが、潮田さんはそんな状況を「成長を後押ししてくれる」と前向きに捉えている。 「会社の看板がなくなったとしても、個人でやっていけるような自分の武器を確立したいと、最近は考えるようになった。すぐに環境を変えるつもりはないが、いずれ複数の職業や収入源を持つ『ポートフォリオワーカー』のようなスタイルを目指せたら。大学でファイナンスの講義をしたり、複数の企業で経営企画のアドバイザーを務めたり、といったイメージを持っている」

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潮田さんは、ネットワーキングを目的に世界中のCEOやシニアエグゼクティブが所属する団体「EGN」にも参加している 振り返れば、その先の道は見えなくても、語学習得や資格取得などの自己研鑽は地道に続けてきた。そうした努力は必ずしも思った通りの結果をもたらしてはくれなかったが、それでも必ず何かの糧になった。自己研鑽と新たな挑戦を繰り返してきた結果、アジアを代表する経済都市で一定の成功をつかむことができた。 ミュージシャンの道を断念して、20年近く。大学時代の同級生たちに感じていた劣等感こそが成長の源だったのかもしれない。 本記事についての簡単なアンケートにご協力をお願いします。 アンケートはこちら

取材・文:小林 香織 編集:岡 徳之(Livit) 写真提供:潮田 豊幸