念願の米国勤務で感じた「満たされない」
2016年、念願だった世界的IT企業の米国マイクロソフト本社への転籍を果たし、クラウドインフラビジネスのワールドワイド営業施策責任者として活躍していた山本さんは、自身のキャリアに関する壁にぶつかっていた。 30歳を過ぎてから始めた、目指す姿を3カ月に1回紙に書き出す「バックキャスティング」(未来のある時点に目標を設定しておき、そこから逆算して現在すべきことを考える方法)によって、誰もがうらやむようなグローバル企業で活躍するビジネスリーダーになれたはずだった。だが、「何か満たされない」と感じていた。 違和感のきっかけとなったのは、世界中から集まったグローバルに活躍するビジネスリーダーたちとの交流にあった。キャリアの展望や価値観を尋ねると、「早いうちに必要な資産を築き、将来的に好きなビジネスを経営しながら充実したセカンドライフをおくりたい」「母国の社会課題解決に貢献したい」といった答えが多く返ってきた。他国から来たリーダーたちの見解には、キャリアに対するその人なりのライフプランや人生哲学が投影されていた。 「20代、30代とこれまで脇目も振らず、『なりたい自分』を追いかけてきましたが、それまでの自分は、他国から来たリーダーと比較すると、個人のキャリアのことばかりを考えていたことに気付かされました。『なりたい自分』と『自分の描く人生哲学』が結びついていないことが、40歳を前にした米国勤務中に感じた『満たされないという違和感』の原因だったんです」 違和感は「次なる成長に向けた伸びしろ」とポジティブに考え、突き詰めた結果、山本さんは日本に戻る決意を固める。「未来の日本のために、特に若い世代のための存在になりたい」との思いを胸に。

グローバルビジネスリーダーを目指してバックキャスティングで米国のMBAも取得
「なりたい自分なんて考えたこともなかった」
山本さんは高校まで、故郷の愛媛県松山市で過ごした。「自分の可能性なんてわからないまま、漫然と過ごしていた。将来なりたい自分なんて、考えたこともなかった」。覚えているのはただ漠然と、「四国から出たい」と思っていたことだ。その一心で東京にある大学を選んだ。 大学卒業後、1999年に外資系IT企業で汎用機システムの構築などを担当するエンジニアとしてキャリアを始め、2003年に日本マイクロソフトにプリセールスエンジニアとして入社した。当時は、日々の仕事に精いっぱいで、中長期的な視点でキャリアプランを設計する意識はみじんもなかった。 キャリアプランを意識するきっかけとなったのは、2012年のことだった。「マイクロソフトで働いていて、日本しか経験しないのはもったいない」と考え、シンガポールに出張した機会を利用し、マイクロソフトのAPAC(アジア太平洋地域)の人事担当者にキャリアを相談した。その際、次のような言葉が返ってきた。 「もし本当に日本以外で働きたいなら、行きたいチームを明確にイメージして、日々の業務で関わりながら、成果を出せるように意識していくこと。そのうえで、『オープンポジションができたときには、チャレンジしたい』とチームやマネジメント層にあらかじめ伝えておくと良い。同じポジションを狙っている候補者がいくらでもいるなかで、『山本さんがほしい』と思わせる理由が必要だよ」 これをきっかけに、今の自分から延長して考えるのではなく、「なりたい」を起点に、今自分に必要なものや足りないものを逆算して補っていく。「バックキャスティング」といわれる手法で、キャリアプランの形成に取り組み始めた。
3カ月に一度見直し続けた「なりたい」
「最初は、希望する環境、年収、役職、仕事内容、そして実現したい時期といったわかりやすいポイントを書き出しました。そのうえで、目指すべきロールモデル(手本)の具体的なイメージ化に取り組みました」 幸運にも、当時のマイクロソフトでは、特定の新規事業や施策ごとに、米国本社直属のビジネス開発・推進組織が立ち上がり始めていた。山本さんは、当時の「なりたい」を本社直属のポジションの「グローバルビジネスリーダー」とした。 次にグローバルビジネスリーダーの定義の一つとして、「複数の国や地域でのビジネスを推進するノウハウと経験を持つ」などと明確にして、現状の自分とのギャップを分析、それを埋めるための対策を考えられる限り洗い出し、マイルストーンを設定。その後、3カ月に一度のペースで、こまめに進捗を確認し、マイルストーンや対策の見直しを、繰り返し行った。 「なりたい自分」とそこに対する必要な能力や経験が明確になるほど、順調にキャリアを通しての自己実現の道が開けていった。2012年以降、シンガポールのAPACチームの施策に積極的に関わり、事業部門のピープルマネージャーを経験。2014年には、日本を拠点としながら米国マイクロソフトの東アジア地域における新規クラウドサービス立ち上げ組織の責任者になっていた。さまざまな国や地域でビジネスをリードしてきた経験豊富なグローバルビジネスリーダーの先輩から刺激と学びを得ていった。 2016年、ついにグローバルビジネスリーダーになるチャンスがまわってくる。山本さんは、米国本社のある事業部門のゼネラルマネージャーに自分の考える事業戦略をプレゼンテーションするための1on1を申し込んだ。その場で、常々感じていた、さまざまな営業施策の課題を指摘したうえで、グローバルレベルでの改善案とそこから得られる効果を提示したのだ。ゼネラルマネージャーは「これまで良い話ばかりが報告されていた。アジア各国の営業現場や顧客が、そんな課題を抱えていることをはじめて聞いた。あなたが本社に来て、そのプランを実現できる自信があるのなら、適切なポジションを3カ月以内に用意する」と明言。その後、話はトントン拍子に進み、半年後には、米国マイクロソフト本社勤務となった。 「どんなにフラットな企業文化の会社でも、本社のゼネラルマネージャーに直接ビジネスプランを提案しようとはなかなか思わないし、過程でブロックもされることも多いでしょう。この1on1には伏線がありました。その1年前からAPACの事業責任者にメンターになってもらっていて、彼のサポートが得られたのが大きかった。これも、『バックキャスティング』思考によって、準備をしておいたからこその結果です」

「すごいのは会社。あなたは何ができるのか」の衝撃
山本さんは、2012年から始めたバックキャスティングによって、4年越しで念願のグローバルビジネスリーダーとなった。しかし、さまざまな経験を経て、念願だったはずの米国勤務のキャリアに自ら区切りをつけ、日本に帰国することを決めた。「なりたい」と「人生哲学」の結びつきを考えてのことだった。 米国滞在中、自分のキャリア形成について客観的なアドバイスを得るため、シリコンバレーで、将来が有望視されている「ユニコーン」と呼ばれるスタートアップの幹部たちとも会った。その時、「すごいのは会社であって、君自身は何ができるのか」「将来的に何を成し遂げたいのか」という質問があった。 「自分のキャリアにはそれなりに自信を持っていたので、率直に言って衝撃を受けました。そして、無意識に会社のブランドにすがっててんぐになっていた自分や、このままの環境にい続けても、自分が最終的に目指したいゴールにたどり着けない現実に気付かされました。でもそれらのフィードバックは、厳しい内容でしたが、温かく的確だったと思います」 とはいえ、米国でのポジションを捨て去ることに迷いがなかったわけではない。また、日本マイクロソフトから、たたき上げでアジア地域を経て米国本社のグローバルな役割についたこと自体はまれなケースで、山本さんを「ロールモデル」とみなす声や、多くの同僚からの引き止めもあった。しかし、「自然体でやり通すことが何よりも大事だと確信していたので、米国にとどまることに執着せず、自らのコンフォータブルゾーン(快適な領域)を破壊し、チャレンジすることにちゅうちょはなかった」といい、米国を離れる決意をする。「未来の日本のために特に若い世代のための存在になりたい」との思いは揺るがなかった。 「米国勤務で得た一番の収穫は、グローバルビジネスリーダーの共通点がわかったことです。自分自身のアイデンティティーの明確化、仕事に対する自分なりの哲学の確立、それをベースとした業務におけるアクションなどです。そして、私のコアにあるアイデンティティーや根底に流れるDNA的なもの、あるいは哲学の基になるものが、『日本の将来への貢献』でした。グローバルビジネスリーダーを目指していたのも、深層心理で貢献を求めていたことが理由だったと気付いたのです」
「なりたい自分を描く」価値を伝えたい
日本に戻った山本さんは、アマゾン ウェブ サービス ジャパンに約2年間勤務。その後、いくつかのスタートアップ系IT企業のカントリーマネージャーのオファーもあったが、社会貢献を主目的とした副業ができることを入念に確認したうえで、2019年にグーグル・クラウド・ジャパンに転職する。 そして2020年、さいたま市教育委員会が進める「GIGAスクール構想プロジェクト」に、ITスペシャリスト、プロジェクトマネージャーとして関わり始める。GIGAスクール構想とは、子供たちを「変化を前向きに受け止め、豊かな創造性を備えた持続可能な社会の創り手」として育てることを目的として、2019年から文部科学省が進める教育改革プロジェクトだ。このプロジェクトに参画して3年目、山本さんは、さいたま市の学校教育現場の授業風景が、目覚ましい変革を遂げていることに目を細める。 「3年前、授業中にパソコンを器用に操作する小学生はほとんど目につきませんでしたが、それが今では当たり前の光景になりました。普段は、学校教育現場を通した社会貢献を直接実感できる機会はあまりないので、本業とは違ったやりがいを感じています」 また、世界情勢が不透明ななかでも、希望を持っていろいろなチャレンジをしてほしいと考え、山本さんは、学生や新社会人向けに、キャリア開発に関連する講演などのプロボノ活動も実施している。コロナ禍で職業体験授業が難しい児童生徒向けに、自分の夢を題材にした企画書作成を中心に行う職業体験コースを独自に開発し、オンラインで提供している。内容は、バックキャスティングの手法や児童生徒のプレゼンテーションに対するフィードバックなどで、時間は3時間程度。多くの児童生徒が熱心に取り組む姿を見て、山本さんは手応えを感じている。 「実際に取り組んでみると、若い世代は、仮説であっても、なりたい自分をなかなか具現化できないことがあります。ただ、だからこそ、自分の経験を伝えることに意味があるとも感じています。なりたい自分を描けなくても、自分の可能性やなりたい自分を考えることの重要性に、早くから気付くチャンスを得る意義は大きい。30代後半でようやく気がついた自分からすると、そう感じています」

目指すは「なりたい」から「あるべき」に
今、山本さんの「なりたい」は何なのか。「構築中」と断ったうえで、こう続ける。 「今までのキャリアに対するゴールは、『WANT』つまり『なりたい』でした。転職や転籍、副業、プロボノなどのさまざまな経験を積んで、50歳が見えてきたところで、ようやくある程度自分なりの仕事に対する哲学が見えてきました。『なりたい』よりも、『MUST』つまり『あるべき』を深く考えるようになりました」 今思いをはせるのは、これからの世界における日本経済というマクロな視点からの諸課題。日本の労働生産性やグローバル競争力向上、持続可能な社会環境の実現に取り組む企業の価値向上などだ。 「これまで個人としてできる限り、学校教育などに積極的に取り組んできました。しかし、今のやり方では、睡眠や休日を犠牲にし、仕事のやりくりをしたとしても、個人のキャパシティーには限界があります。自分の得意分野やこれまでの経験を生かしながら、もっと効率的で、スケールメリットを出せる方法を探る時期だと考えて、現在、『MUST』をゴールとする『バックキャスティング』で、あらゆる選択肢を排除せずに人生哲学と結びついた新たなキャリアプランを設計している最中です」 山本さんがキャリアのなかで実践してきたバックキャスティングの手法は、自らを世界的な超大手企業の中枢へと導いていった。山本さんはかつての自分を今の若い世代に重ね、「『なりたい』をかなえる方法がある」と声をかけ続ける。そして「毎朝目覚めて、魅力的で鼓舞されるような未来が開かれていると感じられる社会を実現したい」という思いを胸に、山本さん自身は、日本の若い世代に貢献する自分の「あるべき」を模索する次のステップに進んでいる。 本記事についての簡単なアンケートにご協力をお願いします。 アンケートはこちら
企画:宮田 峻伍 文:池田 宏之 写真:的野 弘路(1、3、4枚目)、2枚目は本人提供 掲載日:2022年10月31日