自分を「営業マシン化」してトップ営業に
「もともと仕事をしたくなくて、他人と深く関わるのも好きじゃない。若い頃は、カフェのマスターでもしながら、一日中好きな音楽をかけて暮らしたいと思っていた」と杉野さんは振り返る。 高校時代はバンド活動に熱中し、近所の音楽仲間と駅前でライブをしていた。「つぶしが利きそう」と大学は工学部に進学し、河川土木を専攻。大学院にも進み、修士論文では打ち水で何度地表の温度が下がるかをシミュレーションするプログラムを作った。修士修了後、「どうせ働きたくないのだから、自分ともっとも縁遠いことをやろう」と思い立ち、医療系ITベンチャー企業で営業職に就いた。

2度の体調不良についても、明るく話してくれた 仕事はテレアポから商談につなげて契約を取るという新規営業。最初は何の成果も出なかった。毎日300件電話して一件もアポイントが取れないまま4月が終了。業務内容が向いていないなと思ったことと、成果が出ないことがストレスとなって体調を崩し、5月になると働けなくなった。7月になって復帰したが、同じことを繰り返すのは嫌で仕方がなかった。一つ一つの案件に感情を入れて対応するのが自分に向いていないのだと気がついた。そこで杉野さんは「自分は感情を持たない営業マシンになればいい。営業の工程を分析して、効率を追求して機械のようにやろう」と心に決め、行動を変えた。 まずはテレアポ。効率化をするための分析だと割り切り、一日中電話をかけ続けて成功率の高い時間帯を探した。電話先の相手の対応を「ガチャ切りされる」「少し話を聞いてくれる」「アポが入る」「決裁者につないでもらえる」と分類し、結果が出る時間を探った。また、電話相手の性別や役職、おおよその年代などもデータとして残していった。 次に営業トーク。まずは先輩が作ったマニュアルを引っ張り出して熟読。さらにアポイントが取れている先輩の言い回しや発声、間の取り方などを要素分解し、成果が出るトーク手法を自分なりに導き出した。 そうしてまとめた成功法則を身につけるため、自ら毎日課題を設け、復唱、ミラーリングなどを繰り返し、アポイントの電話をするなかで実践。気がつけば、はじめは160~200件に1件だったアポイント獲得が2カ月後には80件に1件になっていた。 次に成約に結びつけるまでのプロセスを仕組み化した。何日空けて電話すると成約しやすいのか、2回目・3回目の商談内容ではどんな会話をするのがよいのか、などを「Excel」にまとめ自分だけのマニュアルを作った。2年目には他の営業社員が1カ月で6~7件アポイントが取れれば上々というところ、月20件のアポイントが取れるようになった。成約を重ね、会社でのトップセールスを記録した。3年目にはマネージャー(支部長)に昇格してほしいと内示が出た。しかし、個人で結果を残すことにやりがいを感じていた杉野さんは「人を管理するのはいやです。自分だけで仕事をしたい」と退職を申し出る。
「働く未来が変わる」という直感
個人で完結できる労務管理の仕事をしようと社会保険労務士事務所に転職。業務内容はクライアント企業の従業員の給与計算だった。前職を知る所長に「マニュアルがないから作るように」と命じられた。先輩社員にやり方を聞いて回り、2週間でマニュアルが完成。そのマニュアル通りに作業を進めることで、いつの間にか他の社員の2倍にあたる40社の給与計算を担当していた。 しかし、個人で成果を残すことに満足する一方、仕事に没頭しすぎて終業が連日深夜に及び、徹夜も度々になった。そして、ある日突然全身に痛みが走った。病院に行くと線維筋痛症と診断され、出社できない状態に。その後も体調不良が続き、会社を休みがちになった。 体調も回復してきて、主な業務を自社の総務に変えてもらい職場に復帰。仕事量をセーブしながら働くつもりだったが、作業をはじめると気になることが出てきた。毎月、社員60人分の有給休暇や時短の申請などの書類がA4で100枚もの紙束になって積まれていく。それをタイムカードと突き合わせ、給与計算ソフトに手入力で数字を打ち込み、「Excel」にエクスポートして、印刷して、明細書をつくり、現金を封筒に入れて配るのが会社の給与計算のフローだった。「非効率の極み。自分が業務設計をすれば、もっと楽にできるのに」という思いがマグマのように、胸中にたぎっていた。 2017年、社長命令で中小企業や社労士事務所向けに労務管理のクラウド導入やIT化を支援するグループ会社をつくった。新会社は立ち上げと同時に引き合いが殺到。セミナーへの問い合わせも多く、日本全国を飛び回り多忙をきわめた。「働く未来が変わるんだ」と感じた。

クライアント向けセミナーの様子 そして、入社から10年経った2019年9月、労務管理のクラウド導入・バックオフィス業務のDXを支援するTECO Designを創業。もちろん勝算はあった。支援を待つ多くのクライアントがいる広々としたブルーオーシャンへ乗り出す、順風満帆の起業のはずだった。
YouTubeでクラウドサービスの解説を開始
ところが起業してすぐに思わぬ苦戦を強いられる。新型コロナウイルスの感染が拡大し、2020年4月に緊急事態宣言が発出。入っていたアポイントがすべてキャンセルになった。「これで終わったと思った」。しかし今度は自分が社長の立場で、従業員がいる。起業してすぐに諦めるわけにはいかなかった。

独立した直後にコロナ禍に突入した 頭を切り替えた。在宅勤務が増え、働き方が多様化すれば労務管理は間違いなく複雑になる。労務管理のIT化の需要はこれまで以上に増える。そう確信し、営業もコンサルティングもできないとみるや、YouTubeでクラウドサービス導入の解説をする動画配信を始めた。 労務管理のためにクラウドサービスを導入したものの使い方がわからずに困っていた日本全国の労務管理担当者が動画を視聴してくれた。評価もまずまずだった。「10年間社労士事務所にいたので現場の解像度が違う。この規模で、この会社のこういうフェイズなら、こういうことで困っているはずという担当者の困りごとが手に取るようにわかった」 その後、日本でも多くの中小企業にオンライン会議ツールが導入され、Webで商談もコンサルティングもできるようになると、引き合いは一気に増えた。「働き方改革が進み、在宅勤務は従来のシステムで残業計算できなかったり、有休消化義務があったりするなど、企業は労務管理システムを変えざるを得ない局面でしたね」 起業して4年目、杉野さんは、初めての経営、組織づくりが楽しくてしかたがないと話す。現在社員数は36人。杉野さんの分析では、多くの企業は起業から衰退まで、ある同一の遷移を描く。今は「30人の壁」の段階だという。「特定の人に業務が集中する、社内で派閥ができ始める。経営者ひとりで目が行き届かないから、中間管理職を育てなければならないが、みんなミドルマネジメントができない」。そこで、杉野さんは、自社用のミドルマネジメントの教科書を作っているという。社員に会社の課題をヒアリングし、チームのたこつぼ化を防ぐために、チームに横串を通して雑談できる人を入れて、「社員を適当につかまえてお茶する」しくみをつくったり、それまでなかった評価制度をつくったりもしている。

今は「30人の壁」を乗り越えようと奮闘中 自身は仕事をしすぎないように気をつけている。2度の体調不良の経験から、健康管理の意味もあるが、「自分が全部やると、社員がいつまでも『補助輪』を外せない。社員が経験できず、成長できない。成長を促すことと悩ませることのバランスをとりながら、いかに社員に課題を与えるかが重要」と考えるようになった。経営者としては、「心が折れる」ことが最大のリスクだと考え、つねに飽きないように、業務の領域を広くして、課題がたくさんある状態にしている。今興味があることも、プログラミングの再学習、パスタづくり、ワイン、英語と幅広い。 最近になって自分の強みが「業務設計」であることに初めて気づいたと杉野さんはいう。業務を整理して説明し、問題を分解して肝となる部分を見つけ、解決するしくみを考えるのが得意。そして、何よりその考える時間が楽しい。自分はいわば「レシピを作る人」だと。「材料だけあっても、料理にならないが、きちんとしたレシピがあれば、おいしい料理を誰でも作ることができる」。杉野さんがみんなに提供するレシピはこれからも増えていくことになるだろう。 本記事についての簡単なアンケートにご協力をお願いします。 アンケートはこちら
文:奥田 由意 写真:嶺 竜一 掲載日:2023年3月30日