一卵性双生児の経営者が覆す「障害」のイメージ 岩手から世界へ発信し続ける問い

異――普通とは違うこと。「障害のある方々へのネガティブなイメージを変容させ、新たな選択肢をつくる」ことをミッションとしてヘラルボニー(本社:岩手県盛岡市)は、「異」を原動力として、突き進んできた。就労継続支援B型事業所で働く人々の平均作業賃金が月額約16,000円というなか、主に知的障害のある作家のアート作品を「株式会社」でマネタイズし、契約を結ぶ作家の中には確定申告をする作家が出てきているなど、障害のある人々に対する一般的なイメージを覆し続けている。2022年には経済産業省の「日本スタートアップ大賞」で審査委員会特別賞を受賞し、社会的にも注目度が上がり続けるヘラルボニーを引っ張るのは、一卵性双生児である松田文登さん(副社長)と崇弥さん(社長)。2人のキャリアは、「障害のある方」に対する「異」に対する視線に疑問を投げかけ続けている。

松田 文登

(まつだ ふみと)

ヘラルボニー代表取締役副社長。東北のゼネコンで被災地の再建に従事した後、双子の崇弥と共にヘラルボニーを設立し、営業を統括する。岩手県在住。双子の兄。

松田 崇弥

(まつだ たかや)

ヘラルボニー代表取締役社長。小山薫堂氏が率いる企画会社オレンジ・アンド・パートナーズ、プランナーを経て独立。双子の文登と共にヘラルボニーを設立し、クリエーティブを統括する。東京都在住。双子の弟。

重度の知的障害があった兄

2人の物語は、兄の翔太さんから始まる。4歳離れた翔太さんは重度の知的障害があった。2人にとっては、喜怒哀楽も、好きなものも嫌いなものもあるごく普通の兄だったが、まわりはそう見なかった。 「兄は自分たちから見ると楽しく生きているのに、『障害があってかわいそう』と言われ続けていた。障害のある方をテーマにしたチャリティー番組も含めて、変だな、嫌だなという気持ちがずっとありました」(崇弥さん) 2人とも、「障害のある方に対する社会の目線を変えるチャレンジをしたい」(崇弥さん)とぼんやり思っていた。 文登さんと崇弥さんはずっと一緒だった。お互い彼女ができるまでは常に一緒に遊び、高校のときの50メートル走も全く同じタイム。しかし、2人は大学から異なった道を歩み始める。別々の大学を卒業後、文登さんは岩手のゼネコンに入り住宅営業に、崇弥さんは「くまモン」の生みの親として有名な小山薫堂氏の会社に入り、プランナーとなった。

翔太さん(中央)の10歳の誕生日に3人で

ネクタイが1人の命を救った

社会人2年目の2015年、崇弥さんは「るんびにい美術館」(岩手県花巻市)を訪れた。この社会福祉法人が運営する施設の一画にあった障害のある方が描いたアートの展示作品を見た崇弥さんは衝撃を受けた。 「『普通にかっこいいな』と衝撃を受けた。なのに、『福祉』というフィルターがかかって、優しさのようなふわふわした空気感のなかで扱われることが、もったいないので、そのまま届けたいと思った」(崇弥さん) 美術館を出た直後に、文登さんに電話した。「障害のある方のアート」を領域としたビジネスができないだろうかと持ち掛ける。 「障害のある方に対する社会の価値観を変えることを、なんとかビジネスにできないかという気持ちはあった。難しさを感じた部分はあったが、崇弥の提案がそのきっかけをにならないかという思いは一緒だった」(文登さん) 2人は副業として「MUKU」というプロジェクトを立ち上げた。最初に選んだプロダクトは「ネクタイ」。プランナーの崇弥さんがチームをまとめあげて、企画を進めた。障害に対する目線を変えるために、障害のある方の関わったものに対する「安価」「品質には少し目をつむっても」という風潮に、正面から挑戦しようとした。 「めちゃくちゃ品質が高く、LVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)に持っていっても『すごい』と言ってもらえるようなものをアウトプットしたいと思った」(崇弥さん) だからこそ、2人は、複雑かつ色の多いデザインを生地に再現する際、通常のプリントでなく、シルクを織りあげようとした。だが、こだわりはネックになった。文登さんが、日本のネクタイ業者や工場をリストアップして、はしから企画を打診していったが、反応は薄かった。 「協力してもらえないのは、自分たちの『副業』や『若さ』が原因なのかなとも思っていたんです。ただ、ある会社に言われたのは、与信を通ったとしても、株式会社であっても、色数が多すぎて、シルクで表現するのは、すごく困難ということでした」(文登さん) ネクタイをあきらめる選択肢も浮かぶなか、その会社が「もしかして」と名前を挙げたのは、東京の老舗のネクタイ専門店「銀座田屋」だった。営業だった文登さんは、変化球のアプローチを取った。 「正面から行っても、また断られるなと思ったんですよね。田屋の工場が東北の山形県米沢市にあり、同じ東北地方なので、そちらから行ったほうがよいかなと。最初は工場見学を申し込んだのですが、タイミングを見計らって企画書を出したんですよ」(文登さん) 文登さんの作戦は奏功し、東京本社の担当者を紹介してもらえた。完成したシルクの織り生地は、さまざまな色が糸で表現され、発注した2人が「感動するもの」だった。価値を提案するという意味で、販売でなく「クラウドファンディング」の形式をとった。1,000円以下でネクタイが買え、また「就労継続支援B型」と呼ばれる雇用契約に基づく就労が困難な障害のある方の月額の平均賃金が約16,000円というのなか、ボウタイ1本に対する寄付額を18,000円に設定した。 結果は、目標額の4割だった。ただ、手ごたえはあった。出生前診断を受けて子供がダウン症とわかった方から届いた手紙だ。中には「『障害者*』という存在は不幸で家族も本人も苦しむものだと思っていた。だから堕ろそうと思っていた」という吐露から始まった文章は「障害がある方にもわらうことも、うれしいこともあり、すてきな経験もあることを知りました」として、出産を決めたことを報告していた。 *編集注 ヘラルボニーでは、「障害のある方」という表現をしていますが、原文を尊重してママにしてあります。 「1人の命を救った」という自負は、2人を後押しした。MUKUはその後、洋傘やブックカバーなどを作り、東京のアクセラレーションプロジェクトに応募して採用されるなどして、少しずつ仲間も増えていく。

MUKU初のプロダクトとなったボウタイ

「ヘラルボニー」という社名の由来

会社を作って、本業にしようと持ち掛けたのも、崇弥さんだった。2018年4月に会社に退職希望を伝え、その夜、また文登さんに電話し、「お前も会社を辞めろ」と迫った。 「もともと自分は小学校の卒業文集で、特別支援学校の先生になりたいと書いていましたが、文登も『障害者だって同じ人間なんだ』と作文で書いたりしていましたから」(崇弥さん) 文登さんは「もうすぐ結婚するから無理」と、いったんは断った。しかし、障害のある人に対する視線への違和感、MUKUの活動で得た手ごたえ。のらない選択肢はなかった。 2018年7月、2人はヘラルボニーを設立。社名は、2人の原点である兄が中学時代にノートにたくさん書いた謎の言葉から取った。兄に聞いてもいまだに意味は判然としないが、世の中のどこにも存在していない言葉、そして何よりも自分たちの原点を明確に示す言葉として選んだ。 会社設立後もヘラルボニーは、プロダクト以外にも、企業向けにデザインをユニホームに活用してもらうようなライセンスビジネス、ホテルや工事現場を作家のデザインで飾るような「タウン事業」も実施している。タウン事業は成田国際空港や新設された東京・山手線の高輪ゲートウェイ駅の工事現場を彩った。出資者は、地元の岩手銀行、JR東日本、丸井、日本財団系列の投資会社などが名を連ね、2023年には、ディズニーとのコラボレーションなどでプロダクトを公表し、着実に認知を広げている。

兄の翔太さんが中学時代にノートに書き残した「ヘラルボニー」

「レぺゼン岩手」のかっこよさ

へラルボニーの「異」は会社を構える場所にもある。多くのスタートアップは東京など大都市で旗揚げすることが多い。対してヘラルボニーは、2人と兄が生まれ育った岩手から、ギャラリーとショップを始めた。岩手には、内装などでコラボレーションしたホテル、創業のきっかけとなったるんびにい美術館もある。ヘラルボニーの岩手における活動の中心となるのは文登さんだ。 「岩手という場所を認知してもらえることが大きい。また、岩手にはスタートアップが多くないなか、行政も住民も含めて、応援してくれる体制になってきた。『新たな実験は岩手から』を大切にしてきたし、これからも大切にしたい」(文登さん) 「障害のある方のアート」という事業領域だけでなく、場所も含めて、起業の定石や王道からは異なったアプローチを取る部分にも2人の思い入れはある。 「アウトサイドからマスにアプローチしていくような感覚、岩手から都市のほうがワクワクする。岩手をレぺゼンする(「代表する〔represent〕を意味する、ヒップホップミュージックでよく使われる表現)ことを『かっこいい』というのが根底にはあるし、岩手にあることが会社のアイデンティティーを体現していると思っています」(崇弥さん) とはいえ、崇弥さんは日本経済の中心である東京に拠点を構える。一卵性双生児の2人が、異なる拠点を持つことで、独特の営業手法を可能にしている。東京での商談は1カ月に1回、1時間程度のことも少なくない。ただ、崇弥さんは、クライアント企業に岩手の訪問を促す。岩手でのアテンドは文登さんの仕事。クライアントと10時間近く過ごすことも、クライアントの身の回りにいる障害のある方について話が及ぶこともある。 「岩手に来てもらえると、ビジネスだけでなく、ヘラルボニーという会社の思想を含めて深く知ってもらえるんですよね」(文登さん) 「岩手と東京でそれぞれやっているから、2倍のスピードで広がっていくのはあります。1人だったら、今のようにはなっていないと。リレーですかね。第1走者で自分が東京にいて、第2走者は文登という感じです」(崇弥さん) 離れて暮らすようになって以来、今日まで、お互い電話しない日はない。ヘラルボニーの初期メンバーは、お互いが信頼できる人を紹介しあって集めた。激しい口論も珍しくないが、同じ原体験と思いを共有し、誰よりも信頼できる相手がいることは、ヘラルボニーの強みとなっている。

「障害のある方の才能に依存している」

「福祉」や「障害」を事業領域とするビジネスが他にないわけではない。そのなかで、ヘラルボニーがこれだけ注目を集めているのはなぜか。 「福祉は、国が障害のある方を支援するという制度。それが、障害のある方に対する『こちらが支援している側』という目線につながっていると思うんです」(文登さん) 「支援」という言葉には、「(支援が必要な)弱者」「(支援がないと)できないことが多い人」という前提が無意識であっても入り込んでくる。それが、障害という「異」に向けられる視線に、本人や家族が感じる違和感の正体だ。 ヘラルボニーの企業ミッションは「異彩を、放て。」。「際立って優れた様子」を意味する「異彩」という熟語になった瞬間に「異」のベクトルは逆になる。 「ヘラルボニーは、障害のある人の才能に依存して、ビジネス展開しているので、支援ではなく、伴走者というスタンスです」(崇弥さん) 2022年の厚生労働省のデータによると、日本の障害のある方は約964万人。「支援」「弱者」という前提を置かず、「異」の意味を逆転させようと奮闘し、結果を出してきた2人の回りに、障害のある方やその家族が集まり、ヘラルボニーの快進撃を支えてきた。 ヘラルボニーは今、株式会社としての1つの成功を示す「株式上場」が見えてきている。ただ、「そもそも兄にアートが描けるわけではない」(崇弥さん)という2人にとっては、「まだ第1章」(文登さん)だ。 「異彩を拡張させていくのがミッションですから、パラリンピックのアスリート支援や障害のある人が働くカフェ業態の拡張など、事業ドメインを広げて表舞台に引き上げることをやっていきたい」(崇弥さん) 一般に、大学を卒業して、誰もが知っているような投資銀行などに入れば、褒められるが、「障害のある人の場合、特別支援学校を出た後『あそこで働くんだ。すごいね』とはならない。障害がある人にとって憧れとなる就職先があって、その倍率が100倍になるような世界。そういう憧れを作り出していくことが本当に重要だと思う」(崇弥さん)

仙台を拠点とする文登さん(左)と東京を拠点とする崇弥さん

「ありのままが肯定される社会を」

「障害」「アート」「岩手」。普通の感覚だとビジネスとは距離のありそうな3つのキーワードの重なる領域で、立ち上がった株式会社に、日本だけでなく世界も目を向けつつある。だが、すべては通過点だ。 「ありのままが肯定される社会を実現していくためのプロセスです。『福祉施設がもうけないといけない』と伝えたいのではなく、挑戦したい瞬間に、全員が挑戦できるようにしたい。株式会社としてヘラルボニーが成立していることを通じて、それを世界に示したい」(文登さん) 「みんなちがって、みんないい」(金子みすゞ「私と小鳥と鈴と」より)や「世界に一つだけの花」(作詞:槇原敬之)など、違いを肯定するフレーズは枚挙にいとまがない。ただ、知能指数、値段、人口など計測・数値化を前提とした社会は、「支援」や「違い」という一見ニュートラルな言葉の裏に、「優劣」のニュアンスが意識的にも無意識的にももぐりこむ。「異」を原動力としてきた文登さんと崇弥さんのキャリアとヘラルボニーが作り出すプロダクトやプロジェクトは問い続けてきたし、今後も問い続けることになるだろう。「『異』に対して優劣をつけて、苦しめていないだろうか。ありのままを肯定できないのだろうか」と。 本記事についての簡単なアンケートにご協力をお願いします。 アンケートはこちら

文:池田 宏之 写真:今村 拓馬(1、4、5枚目)、2、3枚目はヘラルボニー提供 掲載日:2023年6月30日