新たな訪問スタイル「コミュニティナース」
1月の午後5時。兵庫ヤクルト販売の宅配拠点「時のまち明石ステーション」に戻ったばかりの平子志津香さんの携帯電話が鳴る。 「はい、平子です。ああ、おもちなら今度行ったときにもらうね! うんうん、寒いからあったかくしといてね!」 電話をかけてきたのは、先ほどまで自宅を訪問していた高齢者だ。平子さんの仕事は、相談相手が限られる地域住民との関係を構築し、さまざまなつながりや支援を通じて健康を維持できるようにサポートすること。ヤクルト商品を売ることではない。 「コミュニティナース」というのが、平子さんの職種だ。島根にオフィスを構えるCNCが提唱・普及を推進しているもので、健康的な食生活や運動習慣などに課題を抱える住民を支援し、社会とのつながりを築いていく。簡単に言えば「地域社会の健康を維持する」のが仕事だ。
兵庫ヤクルト販売の「コミュニティナース」第一号の平子さん(右)

兵庫ヤクルト販売の宅配拠点 平子さんは2024年11月、コミュニティナース第1号として兵庫ヤクルト販売に入社した。前職は看護師で、兵庫県内の病院に勤務していた。「病院には日々、健康を損なってしまった患者さんが来る。そのなかには、もしちょっと違う生活を送っていれば入院や通院をしなくて済んだ方も多い」。そんな課題を感じていたころに出会ったのが、兵庫ヤクルト販売の求人だった。
高齢者の住まいさがしをサポート、保育園の運営も
ヤクルトを売らない事業は、ほかにもある。2021年に本格稼働した「シニアホーム紹介サービス 円か(まどか)」は、老人ホームなどの高齢者施設を紹介する事業だ。子会社のライフパートナーが運営する。 高齢者のための施設は数多くあるが、分類やサービス内容、料金体系などが複雑で、ご本人やご家族が個人で施設を探すのは難しいことが多い。個人の相談は無料で、施設に入居した場合に施設から紹介料をもらうビジネスモデルだ。
シニアホーム紹介サービス 円か 「このような事業は、個人で営んでいるケースが多い。そのなかで『ヤクルト』のブランド力は非常に強い」と水田喜久取締役は話す。 コミュニティナースも円かも、「ヤクルトレディ」の名前で知られる訪問販売員の存在が、利用者と接点を持つための大きな要因になっている。定期的に自宅を訪れる訪問販売員は、同居のご家族に次いで日常のささいな「変化」に気づきやすい存在だ。 「訪問したときに、お客様が家の中で倒れていて救急車を呼んだとか、そういうケースは少なくない。シニアホームの紹介は、現場で実際に起きていた事例に着想を得て始めた」と、兵庫ヤクルト販売の阿部恭大社長は話す。

明石市にある「ヤクルトキッズスクール大久保ひまわり保育園」 「○○ちゃん、ママおむかえきたよ~」 兵庫県明石市にある「ヤクルトキッズスクール大久保ひまわり保育園」は、同社が運営する企業主導型保育園だ。40人の定員のうち、4分の1は兵庫ヤクルト販売で働く訪問販売員の子どもで、4分の3は同社とは関係のない地域住民の子どもを預かっている。同社はこれと別に、認可保育園を5園運営している。 保育園事業の責任者を務める福原順子さんは「子どもを預けて働くために、ヤクルトレディになるという人もいる」と話す。保育園事業は、子どもを預けなければ働けない親に就業機会を提供し、会社からすれば働き手を確保する手段として機能している側面があるというわけだ。 「ヤクルト」の看板は、働き手からの信頼を得るのにも一役買っている。保育士は一般的に人手不足が課題とされる仕事だが、「母体がヤクルトの会社であるということで、労働時間の管理などがしっかりしていると感じてもらいやすい」(福原さん)。誕生日にプレゼントがもらえるといった企業の福利厚生が受けられることも「自分が大事にされているという実感を得るのに役立っている」(同)。
なぜ「ヤクルト販売以外」のことをやるのか
ここで紹介したそれぞれの事業は、兵庫ヤクルト販売の主軸事業ではない。60億円強の年商のうち、ヤクルト商品の訪問販売が45億円、小売店などでの直販が15億円を占める。 だがそれでも、阿部社長はこうした「地域とのつながりを強くし、社会課題の解決につなげる事業」の強化にアクセルを踏む。「会社を育んでくれたのは、ほかならぬ地域のお客様」という意識があるからだ。 ヤクルトの販売会社はそれぞれの担当地域が決まっている。兵庫ヤクルト販売が担当する地域の人口は約160万人だが、人口減少が続く自治体がほとんどだ。「担当する地域のなかでどうすればもっと頼りにしてもらえるかを考えている」(阿部社長)。 神戸市環境局、三木市、播磨町、西脇市、多可町。2023年に就任した阿部社長はその後、自治体との連携協定を立て続けに結んだ。そして、特殊詐欺を防ぐために神戸西警察署とも連携することも公表している。 細かな締結内容は連携先ごとに異なるが、高齢者の見守りや防災、地域の健康増進、孤独・孤立対策などが主軸だ。こうした連携は、直接同社の売り上げにはつながらない。短期的には、コストが膨らむだけという見方もある。 しかし、阿部社長は明言する。「私たちは地域のつながりを大切にしながら、社会課題の解決に貢献するプラットフォームをめざしたい。そのプラットフォームが結果的に、持続的な成長を実現する土台になる」
阪神・淡路大震災、2代目社長の「気づき」
同社がここまで地域とのつながりを重視するようになったのは、阿部社長の父親である泰久会長が社長をしていた時のことだ。 泰久氏が社長になったのは、阪神・淡路大震災があった1995年のこと。創業者である父のあとを継いだ。震災の影響は大きく、街の復興がある程度進んだ2年後になっても売り上げは減り続けた。 「とにかく、従業員を守ることだけを考えた」と泰久会長は振り返る。当時、売り上げ拡大ではなく利益を上げることを重視する風潮もあり、人員削減を除くあらゆる余分なコストの削減など「守り」の経営に徹した。

「守りの経営に徹する時期もあった」と泰久会長 しばらくして経営は落ち着き、利益も上向くようになった。会社役員として職責を果たしたつもりだったが、従業員から見える姿は違った。その間、利益ほど売り上げは増えず、顧客も増えていなかった。それはつまり、販売の最前線で奮闘する販売員が顧客から「ありがとう」と言われ、やりがいを実感する機会が拡大していないということだった。 問題点を指摘したのは、創立50年を前に招いた外部のコンサルタントだった。その人は泰久会長を含む兵庫ヤクルト販売の当時の役員に「会社という木に、もっとも水や栄養を与えてくれたのは誰か。その人に恩返しをしているのか」と問うた。 泰久会長はその言葉に「ハッとした」。同社はそれまでの、顧客不在の営業政策の結果、人口に対してどれくらい飲まれているかを示す「愛飲率」の数値が、全国約100の販売会社のうち80~90位に落ち込んでいた。 泰久会長はそれから、地域住民との関係性構築に尽力する。ヤクルトの工場見学をはじめ、販売拠点である「ステーション」で住民との交流イベントを開くようにもした。バス1台で始めた工場見学会は、2023年度までの累計で約3,000回、のべ64,000人に達している。 「工場見学などでファンになってくれた人は、購入を続けてくれるだけでなく周囲に勧めてくれるアンバサダーにもなる」(泰久会長)。愛飲率の数値は近年、全国の販売会社で10位前後に改善した。
本社を建て替え、「健康情報発信拠点」に
地域へのさらなるお役立ちにかじを切った同社が、顧客と同時に大事にしていることがある。従業員だ。 2021年、「健康情報発信station」をコンセプトとする新しい本社社屋が完成した。「未来の社員への贈り物」という想いが込められた建物は、カフェ風の社員食堂や屋上テラス、料理教室などができるキッチンスペースなどを備える現代的な造りだ。
建て替えた新社屋

新たな社員食堂はカフェのようなしつらえに 「地域に健康を届ける会社の従業員が、健康的じゃない食生活をしているようじゃダメだ」というのは、泰久会長の弁。人員整理はしないと決めていた泰久会長が社長在任中に唯一、退職してもらったのが、廃止した社員食堂で食事を作ってくれていた職員だった。そのことを会長はずっと悔いていたという。 新しいオフィスは会議室を多く作るなど、従業員の声をできる限り反映してデザインした。本社に勤務する従業員は一部に限られるが、研修など、販売拠点で働くスタッフが本社を訪れる機会があるほか、同社の沿革を紹介する1階のスペースには、各販売拠点のメンバーを紹介するスペースもある。 「地域との関係性を築いてくれているのは、従業員であり、最前線の販売員」と恭大社長、泰久会長は口をそろえる。流通・サービス業で人手不足が深刻化する社会情勢もあり、従業員満足度や働きがいの向上には今後も注力する方針という。
「心身社会を健康に」 阿部社長インタビュー
プロフィール
阿部 恭大(あべ やすひろ)
1990年神戸市生まれ。2013年甲南大学卒業、ヤクルト本社入社。2016年兵庫ヤクルト販売入社。2021年同社常務、2023年社長。慶応義塾大学大学院経営管理研究科修了。
地域との関係強化を掲げ、実践されています。注力する理由は何ですか。
阿部社長 当社の最大の強みが何かを考えたとき、それは人と人とのつながりだろうと思います。ヤクルトの販売会社はもともと、ヤクルト商品の販売を通じて地域の健康増進に寄与してきましたが、その過程で地域のお客様と関係を築いてきています。ヤクルトレディはただ商品をお届けしているだけではなく、定期的にご自宅に伺い、場合によってはご家族に次いでお客様の健康や暮らしに詳しい存在になっています。 「先週よりも顔色が悪いのでは」といったことに気づける企業は、ほかにほとんどないのではないでしょうか。地域社会における重要性は高まっており、そのニーズにこたえることが、次の30年、当社の創立100年を見据えたときに必要なことだと考えています。
直接売り上げにはならないものへの投資は、しにくくありませんか。
阿部社長 「地域貢献」というと慈善事業のようなイメージを持たれがちですが、私はそう思っていません。直接的でないのは確かかもしれませんが、シニアホーム紹介サービス円かにしても、高齢者施設を紹介した入居者様の要望をきっかけに、施設全体で新規にヤクルト商品を購入していただけるようになったケースも出てきています。 保育園でもヤクルトをお子さんに提供しているのですが、商品と接点を持ってもらうことで、小売店で購入してもらうこともあるでしょうし、将来的にお子さんが大きくなって子育てをする際にご愛飲いただけるかもしれません。 大事なのはとにかく「地域を一番大切にする会社」を実践し「地域から一番大切にしたい会社」と思っていただくことなのです。必要だと思われればご愛顧いただけるでしょうし、その関係性を資本として新たなビジネスを考えていくことができるわけですから。
「ヤクルト商品の販売会社」という位置づけではなくなってきているように思えます。
阿部社長 会社の屋台骨がヤクルト商品の販売であることは、これからも決して変わりません。しかしこれからはヤクルト商品を売るだけではなく、心身社会を健康にする会社として位置づけ、事業領域を広げてまいります。
人口減少、単身世帯の増加、高齢化、デジタル化の浸透といった変化が、新たなニーズを生んでいます。当社はそのなかでも、孤独・孤立が生む心や社会の「不健康」を解決する存在でありたいと思っています。
3代目の社長となりました。ご自身の代ですべきことをどう考えていますか。
阿部社長 2026年で創立70周年となるのですが、30年後の創立100周年に振り返ったときに「しておいてよかった」と思えることをしておきたいと思います。それがお話しした、地域から大切にしたいと思ってもらえる会社、心身社会を健康にする会社ということだと思っています。 それともう一つ、こちらは個人的な思いですが、今34歳なのですが日本が「失われた30年」と呼ばれる時代に育ちました。「自分の代でもそれを続けたら、日本はどうなってしまうのか。次世代に胸を張って渡せるのか」という思いがあります。30年後、悔しさとともに今を思い出したくはないので、必要だと思うことをやっていきたいですね。 本記事についての簡単なアンケートにご協力をお願いします。 アンケートはこちら
文:中川 雅之 掲載日:2025年3月24日