プロフィール 山部 美紀(仮名) 大学卒業後、新卒で帰国生向けの学習塾に就職。大手学習塾への転職を経て、2023年に未経験からエンジニアへの転身を目指し、養成スクールに通う。2024年2月、SIer(システムインテグレーター)に就職したが、研修期間中に退職し、現在転職活動中。28歳。
養成スクール
未経験でも入社できる会社で働く、プログラミングスクールで基礎を学んで就職する、あるいは独学…。エンジニアになる道はいくつかある。私が選んだのは無料のスクールだった。 3カ月間、オンラインで受講する。講義の動画やスライドの資料などが専用のWebサイトに収まっており、各自で学習を進める。週に何度か、講師に進捗を報告し、質問できる機会も用意されていた。 無料というのにふさわしい内容に思えた。インターネットやパソコンの基本的な仕組みを一通り学び、5~6種類のプログラミング言語を使ってみる。「このコードを書くと、どう動くのか」という仕組みをなぞるもので、毎日5時間ほど勉強すれば、1カ月足らずで終わる。 スクールの最後には、簡単なEC(電子商取引)のアプリを作成する課題に取り組んだ。 自分でコードを書いてみるものの、ボタンが表示されなかったり、位置がずれていたり、正しいページに移動しなかったり…。不具合だらけの状態からスタートし、根気よく修正に修正を重ねて、やっとまともに動くものが完成した。 商品を選んで、個数を指定し、買い物かごに入れて購入ボタンを押してみる。遷移先の画面に、正しい合計金額が表示された。 「おぉ、動いた」

決済機能や住所登録もないシンプルな機能のアプリ。しかし、私はこうしてエンジニアとしての小さな第一歩を踏み出したのだった。
いざ、入社へ
ところで、私の通うスクールはなぜ無料だったのか。その理由は、スクールと人材紹介会社が連携している仕組みにある。 スクールで基礎を学んだ人材を企業に紹介し、企業から紹介料を受け取ることで収益を得る構造なのだ。だから、受講を終えた後の転職活動では、指定の人材紹介会社を利用するように指示される。 就職先が限定され、自分で選ぶことはできない。それが無料スクールの「闇」だとする見方もあったが、私にとっては悪くない仕組みに思えた。エンジニアとして初めての転職活動をサポートしてくれるのは、むしろありがたい。 私は人材紹介会社を通じて、SIerなど6社を受けた。 書類選考から適性検査、面接に進む。面接でよく聞かれたのは「余暇の過ごし方」だった。スノボやバイクが趣味だと答えると、面接官からは「いいですね」と好意的な反応が返ってきた。どうやら、ストレス発散方法を持っていることはとても重要らしい。 入社を決めたのは、第2志望と位置づけていたエンジニアの派遣会社だった。 公式サイトには「質の高いエンジニアを育成する」とうたわれている。教育や育成制度が充実しており、異業界からの転職も「全く問題ない」と書かれていた。 「どういうシステムが必要かを顧客と会話し、コードや設計を考えるのが主な仕事です」。内定が出たとき、私は面接で聞いた業務の説明を思い出した。AI(人工知能)の技術が伸長しても、人手が必要であり続ける分野だという。自分の希望にぴったりの内容だった。
テストや模擬プロジェクト
一緒に入社した同期は10人ほど。未経験者がすぐに現場に投入されるわけもなく、約4カ月間にわたる研修期間が始まった。 研修といっても、椅子に座って話を聞いていれば終わる内容ではない。実際の業務を想定した模擬的なプロジェクトをこなすのだ。 試験の合否判定や在庫管理など、与えられたテーマに沿ったシステムを個人やチームで作成していく。週末には勉強会もあった。「参加は任意」とされたが、実質的には出席必須のものだった。 ペーパーテストもあった。コードが印刷された紙が配布され、「これを実行したらどうなるか」「なぜエラーが出るのか」などの質問に答える。私はなんとか、平均以上の成績を維持していた。 研修開始から1カ月もたつと、何人か退職者が出はじめた。「適性を慎重に見極めて」。私は、YouTubeで繰り返し耳にした警告を思い出した。
「もう、辞めます」
3月、事情が一変した。親が病気になり、急きょ看病が必要になったのだ。 親戚から一報が入ったその日、私は職場を早退した。退勤後に着替えを届ける必要などもあり、しばらくは定時後の勉強も難しくなりそうだ。そうした事情を会社に伝えたところ、返ってきたのは想像以上に冷淡な言葉だった。 「そんなことで、この仕事が続けられるの?」 「目をつけられた」ような、嫌な感じがした。自分の意欲や能力とは異なるところで、値踏みされ始めているような…。はたして、研修担当者の嫌みが私に飛んでくるようになった。 研修を終えて帰ろうとすると「質問はないの?」と詰め寄られる。テストで答えられない問いがあると、「そらみたことか」といった態度でなじってくる。できていないことを列挙され、ことあるごとに、執拗(しつよう)に責められた。 家族はどうなってしまうのか。エンジニアの世界で、本当にやっていけるのか――。不安は募る。研修担当者の厳しい言葉がそれを裏付け、自分を飲み込もうとする。しかし、チャンスを手放す気はなかった。耐えられなくなったとき、会議室でこっそり泣いた。 やがて画面に集中しようとしても、視線が滑るようになった。コードの内容が頭に入らない。成績は下降線をたどり、やがてテストの点数が、入社後初めて平均を下回った。

ある日の夜。同期が全員退勤した後、研修室に1人残らされた。研修担当の男性2人が入室して、穏やかに切り出す。 「このままでやっていけると思いますか?」「事情はあっても、会社はあなたに人並みのパフォーマンスを求めますよ」 私は言った。親の病状が安定すれば、また集中して仕事ができる。この会社で頑張りたい。研修の空気はつらかったけれど、石にかじりついてでも続ける覚悟だった。 だが、彼らは私に「できない理由」を次々と突きつけた。「満足に時間を確保できないだろう」「成長フェーズである現場についていけないのでは」…。どんなに「やれます」と訴えても、彼らの表情は動かない。 「せっかく現場に出ても、まともに稼働できない時限爆弾のようになってしまうのでは」。やりとりのなかで、そんな言葉も飛び出した。それが彼らの、私に対する評価だったのだろう。 そのうち、だんだん分かってきた。彼らは、私が自分から「辞めます」と言い出すのを待っているのだ――。「向いてないってことですか」「辞めてほしいってことですか」。私が逆に尋ねると、2人は「そうは言っていない」と言って煙に巻く。

夜の7時に始まった「面談」は、2時間が経過した。私を追い出すための、巧妙なやり方。「本当に、こんなことあるんだな」というあきれは、やがて腹立ちに変わり、私はついに白旗を上げた。 「分かりました、もう、辞めます」 その言葉が潮目となり、面談は終わった。男性2人は「じゃあ、自己都合で退職する旨を本社にメールしてください」と言い残して立ち去った。扉が閉まる。チャレンジの芽が、摘まれた瞬間だった。 空っぽの会議室で、真っ白なホワイトボードが私を見下ろしている。私は、のっぺらぼうのように無機質だった2人の顔を思い出していた。
「おすすめの求人があります」
私の転職は失敗だったのか? 退職から数カ月がたった今も、ときどき自問する。 一見すると、その通りなのだろう。会社に在籍したのはわずか2カ月。アルバイトでも、こんなに早く辞めたことなんてない。 でも、エンジニアの卵として課題に取り組んだ時間は、いままで経験したどの仕事よりも面白く、楽しかった。不本意なかたちで幕引きを迎えたが、手ごたえアリだ。人生の選択肢が広がったことは間違いない。 退職後、私は海外から翻訳の依頼を受けながら、米国発祥のプログラミング学習サイトで勉強を続けている。解説を読み、コードを書き、課題に合わせたWebページを作成する。一通り学習が終われば、履歴書にも書ける認定証がもらえる見通しだ。 手元のスマホが、新着メールを通知した。転職サービスからの「あなたにおすすめの求人があります」というタイトルが映し出される。 日々確認していると、さまざまな会社の求人が現れては消えてゆく。入れ替わりの激しさを感じる半面、エンジニアという人材があらゆる業界で強く求められていることも感じる。 私は気になった求人のひとつを選び、条件、働き方、社風などの記載を読み進んでゆく。今度こそ焦ることなく、じっくり、自分に合った職場を探してみよう。 いつか、「ここだ」という環境はきっと見つかるはずだ。かつて友人が教えてくれたように、「会社はそこだけじゃない」のだから。 本記事についての簡単なアンケートにご協力をお願いします。 アンケートはこちら
文:佐野 寛貴 掲載日:2024年6月5日