<お話を伺った方>
名前:伊丹 順平(いたみ じゅんぺい)36歳
現職:株式会社フェズ 代表取締役
先輩経営者の一言で「その気」に
消費財メーカーの営業から、Googleでデータを活用したデジタルマーケティングを経験し、今は小売業のDX支援企業の経営者に。経験を生かしてキャリアアップしていくお手本のようですが、ご自身のキャリアはどのように描いていたのですか。
こうして並べると確かに一貫性があるように感じますが、計画があってやってきたことではありません。そもそも経営者になろうと思ったこともありませんでした。その時々で自分の強みをどう発揮できるかを考えた結果、人の縁や偶然もあってこうした選択をしてきたということにすぎません。
自身で起業しようと思ったきっかけは何でしたか。
Googleでは広告の営業で新規顧客の開拓を担当していました。規模はさまざまですが、営業で100人くらいの経営者の方とお話ししているなかで、ある時1人の方が「伊丹くん、社長が向いているんじゃないの」って言ってくれたんです。どんな会話の流れだったかは覚えていませんが、その何気ない一言が、自分が経営者になることを意識するきっかけでした。 言われてみると、自分でも「人に思いが伝わるような話し方はできるな」と思いました。われながら単純ですが、そうやって素直に真に受けるような性格も決断できた要因かもしれませんね。今だと、経営をするにはさまざまな知識や能力が必要だということが分かりますが、当時それが分かっていたらむしろ尻込みしていたかもしれません。 例えば、僕は起業するまでいわゆる社内での昇進を経験したことがなくて、部下をもったことがありませんでした。社長に部下の管理業務がついて回ることは誰でも分かることですが、「やったことがないからダメだ」とはならなかったですね。踏み出せた理由は、突き詰めれば「自信」なんだと思います。根拠はなくても、自分がやってきたことややりたいと思ったことが「できる」と思える自信です。そこは、もしかしたら人よりも強いのかもしれません。
デジタルの世界と現場をつなぐ
その経営者の方に「向いている」と言われてすぐに起業の準備に入ったのですか?
いえ、意識するようにはなりましたが、なにぶん考えたこともなかったことなので、起業するにしても「何をするか」というイメージがありませんでした。
アイデアが浮かんだのは、やはりGoogleでの仕事を通じてでした。ある時、ドラッグストアチェーンから「DXを推進したいからそのモデルを一緒に考えてもらえないか」というご相談を受けました。Googleの既存サービスである広告分野とは違いましたが、新規のお客様だったので僕のところに回ってきたような感じでしたね。 小売業のDXというと、一般的には「無人店舗」に代表されるような省人化やコスト削減の取り組みと思われがちです。しかし、私はP&Gで実際にさまざまな小売業の方々と商談し現場を見てきていましたので、別のことが頭に浮かびました。むしろ売り上げを高めるためのDXができるのではないか、ということです。
具体的に教えていただけますか。
小売業には店ごとに商圏があって、「そのなかでお客さんにどう選んでもらうか」が勝負です。ですから、かつては新聞の折り込みチラシなどで集客してきたわけですが、今はスマートフォンにさまざまな情報を送れます。顧客データや販売データを使って、誰にどんな情報を送れば店に来てもらいやすくなるのか、きめ細かな対応ができるわけです。 また、店との連動も大事です。データを使って情報を消費者に送るだけならまさにデジタルマーケティングの世界ですが、小売業で重要なのは、送った情報と売り場の棚がきちんと連動していることです。「今なら半額」といったタイムセールの情報を送っても、店の値札が対応していなければお客さんは戸惑います。わざわざ足を運んだ方からすれば、場合によっては「だまされた」と思うかもしれません。こうした仕組みをきちんと整えることが、まさにフェズでやろうとしていることです。
P&Gでの経験も生きたということですね。
P&G時代は店舗回りなどとても忙しくしていたので、店で商品を並べる手伝いなどをしながら、「なんでこんなことしているんだろう」と愚痴をこぼすこともありました。でも確かに、その経験がなければ、スマートフォンなどに送るデジタルの情報と実際のリアルの売り場の世界の連動が大事だという考えには思い至らなかったかもしれません。また、そのドラッグストアチェーンの相談の前に経営者という道を意識していなければ、フェズを起業していなかったかもしれません。この辺りは縁といいますか、不思議な偶然です。
Googleの最初の半年は「全く売れず」
P&GからGoogleへの転職は、どういった経緯でしたか。
P&Gでは非常に良い経験をさせてもらい、大変勉強になりましたが、長く勤めて昇進していくというイメージは持っていなかったですね。理由の一つは、外資系企業であり、言語の壁があること。もう一つは、カルチャーフィットの面で少し隔たりを感じていたことでした。 転職したのは27歳の時です。いくつか考えることはありましたが、デジタルマーケティングの存在感が高まるトレンドを感じていたので、それが学べる環境が良いなと思っていました。
同じ外資系企業とはいえ、業界も違えば売るものも違うかと思います。戸惑いはありましたか。
最初は苦しみましたね。営業といってもP&Gは取引先の企業を回るいわゆる「ルートセールス」で、Googleは新規開拓。電話をかけても、興味のある話でなければものの10秒で切られてしまう世界です。Googleに入社してから半年くらいは全く売れませんでした。 そうしたらある時、当時の上司が「営業先の決算資料とか、全部読んで話題を考えてみたら」とアドバイスをしてくれたんです。そこで文字通り、資料を隅から隅まで読むようにすると、一気にアポイントの獲得率が上がりました。実は僕と同じような状況で、同じアドバイスを受けた人がもう1人いたんですが、その人は助言を実行していなくて長く苦しんでいた印象があります。社長になった今でも、僕はできないことやわからないことはすぐに人に助けてもらうスタンスです。だからフェズでも、人の採用にはこだわっていますね。
「世代を代表する経営者になりたい」
ご自身の経験を踏まえて、転職やキャリアチェンジにどんなお考えをお持ちですか。
所属する会社の名前で個人の価値を語るのはナンセンスです。30年前ならいざ知らず、今はどんな大手企業でも新卒入社してから退職するまでにどうなるかわかりません。「入れば安泰」という会社はないと思うので、だとすれば個人としてどうするか、という考え方しかないはずです。会社に所属するのも、自分で事業をするのもただの選択肢の一つだと思います。 自分のことでいえば、やはり働く環境が変わることで視野も広がりましたし、考え方も変わりました。P&Gでは自分の成績のことで頭がいっぱいでしたが、Googleに移って環境が変わると、自分のことよりもチームとしてどうパフォーマンスを上げるか、チームにどう貢献するかという視点が出てきました。転職が良いかどうかはケース・バイ・ケースでしょうが、合わないところに我慢してずっといる必要はないのではと思います。
今後の目標があれば教えてください。
最近、意識して「世代を代表する経営者になりたい」と言うようにしています。自分などが言うのはおこがましいというのは承知しているのですが、私はクビにならない限り、自分の起こした会社の経営をずっとしていくつもりですので、当社の社長ポストはしばらく空きません(笑)。会社自体が伸びて、仕事が増えていかないと組織が目詰まりを起こしてしまいます。誰よりも社長である自分自身が成長し続けないと、優秀な人材が当社で働き続けられる機会を提供できません。そういう思いを込めて、外部に発信するようにしています。 また、データの活用も流通業の現場も知っているという経営者は世の中に多くないと思っています。流通業やサービス業は、日本の産業のなかでも特に生産性の低さを指摘されている業界でもあります。一方で従事する人の数はとても多い産業ですから、事業を通じてこの部分を改善することが、世の中のためになるとも思っています。 本記事についての簡単なアンケートにご協力をお願いします。 アンケートはこちら
撮影:今村 拓馬