北欧宇宙ベンチャーにリモート就職 国境越え勤務、運命変えた2通のスカウト

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日本にいながらリモートワークで、フィンランドの小型衛星ベンチャー「ICEYE(アイサイ)」に勤める渡部浩平さん。新卒で入社した企業では「自ら転職の機会を求めたことはなかった」といいますが、2通のスカウトを受け取ったことが渡部さんのキャリアを大きく動かしました。北欧の先端企業で、唯一の日本人として働くことになった経緯とは。お話を伺いました。

目次
  1. 「日本人は自分だけ」の環境に可能性
  2. きっかけはキャリアの「診断テスト」
  3. 「自分で人生のハンドルを握った」
  4. ベンチャーのスピード感に刺激
  5. 「自身で設計し、かじ取りができる生き方を」

<お話を伺った方> 渡部 浩平(わたなべ こうへい)43歳 1社目:東京海上日動火災保険株式会社(2002年4月〜2018年12月) 2社目:米国企業 Liberty Mutual(2019年1月〜2021年5月) 現職:フィンランド企業 ICEYE(2021年6月〜)

「日本人は自分だけ」の環境に可能性

今のお仕事について教えてください。

フィンランド南部のエスポー市に本社がある宇宙ベンチャー「ICEYE」に勤めています。小型のSAR衛星を独自開発しており、小型衛星の先駆けといえる企業です。世界で初めて衛星1基の重さを100キログラム以内に抑えるという小型化に成功したことで知られています。この小型衛星で撮影した地表のデータを使って、自然災害などの被害状況の把握に役立つソリューションを提供しています。 私の仕事は、こうしたソリューションを日本の保険業界や政府・自治体向けに提供すること、および日本におけるマーケティングやPRです。私は日本にいて、四半期に1回のフィンランド出張を除き、業務は完全にリモートです。ICEYEにはフィンランド国外にリモートで働く社員が多くいて、私もその一人ということになりますね。 社内の打ち合わせなどはフィンランド時間に合わせており、日本時間18時〜23時がメインです。そのほかに、国内のクライアントとのやりとり、イベントや展示会など日本での業務もあります。私はもともと国内の保険会社に長く勤め朝9時までにはオフィスに出社する規則正しい生活リズムでしたが、それと比べると生活はやや不規則です。ただ、その点は納得して入社していますし、逆に日中の時間の使い方はフレキシブルなので全くストレスはありません。

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フィンランドにてICEYEのメンバーと(手前右側が渡部さん)

転職の経緯を教えてください。

2021年の2月にSNS経由でスカウトをもらいました。新型コロナウイルス感染症拡大の影響で世界的に移動が制限されていたこともあり、オンラインで選考を重ねて、結果的に一度も現地を訪れないまま1カ月後にオファーをいただきました。スタートアップ企業らしいスピード感でしたね。 不安もありましたが、最先端のテクノロジーを持つ宇宙テック企業であること、自身が持つ保険業界での経験を生かせる業務内容に強く引かれました。訪れたこともないフィンランドの企業で、さらに日本人は自分一人という環境と聞き、「これは新たなフロンティアだ」と感じて、心がおどるような感覚がありました。 前職は米国の大手保険会社「Liberty Mutual」のシンガポール拠点で、日本事業の立ち上げを担うポジションでした。ここでも、同社にとって初の日本人社員という立場でしたので、他に日本人がいない環境には慣れていました。 前職の仕事に不満はなかったものの、目まぐるしく変化する世の中を見ていて、ダイナミックな変化を感じられるような仕事、ポジションに就きたいとは思っていました。ICEYEからのオファーは、まさにその希望にピッタリのものでした。 また、前職では1カ月のうち20日間をシンガポール、10日間を家族のいる日本で過ごす生活をしていましたが、コロナ禍でそれが難しくなり、家族との生活を考慮すると、日本にいられることもメリットに感じましたね。 前職にはトータル2年半在籍し、とても良い会社で、まだまだやりたいことがあったというのが本音です。しかし、転職のオファーにそれ以上の魅力を感じ、決断に至りました。

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2社目のLiberty Mutualの同僚たちと(中央列左端が渡部さん)

きっかけはキャリアの「診断テスト」

現職と前職のお話を伺うと、積極的に新たなチャンスをつかみに動かれている印象ですが、新卒で入社された東京海上日動火災保険には17年間と長くお勤めでした。

はい。新卒で入った東京海上日動はすごく居心地がよく、人にも恵まれ、会社員生活を心から楽しんでいました。 大学時代にはアメリカに1年留学をするなど、もともとグローバル志向が強かったため、東京海上日動では切望していた海外勤務もさせてもらいました。会社には満足していて、転職なんて全く考えてもいませんでした。 キャリアチェンジのきっかけは、スカウトでした。5年間のイギリス駐在から戻ってきて、しばらくは日本で腰を据えてがんばろうと思っていたのですが、突然の転職オファーに心が揺れました。実は、同僚と遊びの延長で適職診断テストのようなものを受け、試しにビズリーチに登録していたのです。そこからのスカウトでした。転職の意思はなかったものの、目標だった海外勤務を終え、40歳になるタイミングで、「そろそろキャリアの後半戦について考えないと」という気持ちはありました。

魅力的なスカウトだったんですね。

勤務地はアジアのハブといわれるシンガポール。かつ、大きな裁量を持って日本マーケット向けの事業のかじを取る、なかなか出会えないレアな職務だと思いました。「まずは話を聞いてみよう」と、オンラインのカジュアル面談を受けたところ、どんどん選考が進み、「一度シンガポールに来てほしい」と誘われました。 いざ現地に行くと、昨日までの延長線上にはない今日を生きているという感覚にすごくワクワクしたんです。面談した責任者や上司はフレンドリーで、シビアな外資企業のイメージとは異なり社員を大事にする考え方が感じられました。短期スパンではなく、長期的な視点で働けそうという安心感もあり、魅力的なオファーでした。 一方、なにひとつ不満がない現状を踏まえると、「ないものねだりではないか」「ぜいたくな悩みだ」という思いもありました。待遇面では、1社目よりも給与は上がるものの、退職金制度や長期的な保証はなくなり、2カ月前の通知で契約解除もあり得るという不安定な条件でした。妻と2人の子どもとの生活も考えなくてはいけません。キャリアや自己分析の本を読みあさりながら、ひたすら自問自答を繰り返したのを覚えています。

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アジアを中心に世界各国から集まった Liberty Mutualのメンバーと

「自分で人生のハンドルを握った」

決め手は何だったのでしょうか?

ポジションや企業の魅力に加えて、2つの要素が転職の後押しになりました。 一つは、定期的に日本に帰国して、家族ファーストの働き方ができると会社に認めてもらったこと。シンガポールへ単身赴任をしながら、月に10日ほどの日本滞在を許可されていました。 もう一つは、日本の大企業では避けられない定期異動のリスクを考えると、仕事の領域や働く場所、それらを選ぶタイミングを自身でコントロールできる環境を魅力的に感じたことです。 それでも、妻に反対されるかもしれないと内心ドキドキしていましたが、実際は「本気でやりたいなら、がんばってみたら? 自分で考えて決めてください」と突き放されました(笑)。

シンガポールでのお仕事はどうでしたか。

各国から優秀な人材が集まり、英語で働くという環境は学ぶことだらけでした。日本のような「暗黙の了解」は通用せず、積極的に自分の意見を伝える習慣が身につきました。

海外・日本間のブリッジのような役割だったので、商習慣がぶつかり合う場面によく直面します。例えば、スピード重視で契約を獲得したいアメリカと、長期視点で信頼関係を構築してから契約につなげる日本では、アプローチがまったく異なるわけです。日本の事情をきちんと説明したうえで、両者の折り合いをつける必要があります。このあたりのハンドリングには苦労しましたが、グローバル企業での立ち回り方を学ぶ良い機会でした。

また、自分の専門性もより意識するようになりました。部署異動が当たり前の日本とは異なり、新しい職場ではそれぞれが専門スキルを突き詰め、自分なりの強みを持っていました。長期雇用を前提とする日本企業では、会社から提示される異動辞令の積み重ねでキャリアが形成されます。しかし海外の企業では長期的な保証がないので、個人が自分のスキルやキャリアを突き詰めるのでしょう。そうした意味で、自分で自分の人生のハンドルを握ったような感覚がありましたね。「自分でキャリアをコントロールしよう」という覚悟が決まったことは、私の人生に大きく影響しているように思います。

ベンチャーのスピード感に刺激

ICEYEは2社目の海外企業となります。Liberty Mutualと違いを感じますか?

それまでの保険業界とはまったく異なる業界ですし、従業員の数も数万人から約250人と大きく変わりました。 ベンチャー企業らしく、組織の変わりようはすさまじいです。私が入った2月に250人だった社員は数カ月で400人に増え、チームの形もどんどん変わっていきます。業界動向やテクノロジーも随時アップデートされるので、積極的に情報をキャッチしないと追いつきません。英語のコミュニケーションレベルも高く、技術用語に苦戦する場面もあります。学ぶことが多くありますね。 給与は前職と同水準ですが、税金が非常に安いシンガポールから日本に帰国したことから手取り額は下がっています。ですがおもしろい仕事ができること、自由な働き方がしやすい点を魅力に感じていますね。 四半期に1回、各国の社員が本社のあるフィンランド・エスポー市に集まって、顔を合わせる機会も新鮮です。チームビルディングや情報共有を目的としていて、上司や同僚との交流は本当に良い刺激になります。 フィンランドの人々は仕事との距離をうまく取っていて、個人としての生き方をしっかり考えている印象があります。かつ、個々の理想を実現するための公的な教育やキャリアサポートの制度が整っているなとも感じます。こういった面は、日本が学ぶべきところかもしれません。

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フィンランド人、アメリカ人、イギリス人など多国籍の人材が集まるICEYE(後列右端が渡部さん)

「自身で設計し、かじ取りができる生き方を」

2度の転職を経て、渡部さんのキャリア観にも変化がありそうですね。

向こう10年は「いかに自由に働けるか」を自身のテーマとしています。安定した大企業で20代〜30代を過ごした私は、その良さもよく分かっています。しかし、「選ばなかった未来は捨てなければならない」という覚悟で、その環境を飛び出しました。それならばとことん真逆の「自分らしい働き方」を突き詰めてみたい。 国を越えて働く場所を選んだり、さまざまなクライアントと複数のプロジェクトに取り組んだり。新しい場所を訪れ、新しい人に出会い、新しいことをしたいという欲求をかなえようとすると、1社に所属していては限界があります。自由だからこそ制限にとらわれないアイデアが湧いてくるだろうし、自分の変化を感じられるのも醍醐味かなと。 私にとって人生とは「どこに住んで、誰と何をするか」です。それを自身で設計して、目標に向かってかじ取りができる生き方をしたいと思っています。

これからの展望を教えてください。

現在はICEYEに転職したばかりであり、まずはここで、3つの目標を達成したいと思っています。 1つ目は、革新的な技術を使って日本の災害対策に貢献すること。2つ目は、お世話になった保険業界に恩返しをすること。そして3つ目は、数年以内に上場することです。保険業界で培ったつながりを生かして、現職で貢献できることは大きなやりがいだと感じています。 40代からの転職はリスクを数えればキリがないですが、私にとっては新たな可能性の扉を開いてくれた「人生の転機」に他なりません。ミドル世代でキャリアに悩み一大決心をしたことやグローバルでの勤務経験を生かし、将来的には同じくキャリアに悩む人たちのサポートをしたいという気持ちもあります。 本記事についての簡単なアンケートにご協力をお願いします。 アンケートはこちら

文:小林 香織 編集:岡 徳之(Livit) 画像提供:渡部 浩平