
職場で最初の「男性育休取得者」
お二人とも東京で大手企業にお勤めでした。移住は前々から検討されていたのでしょうか。
潤(敬称略、以下同じ) いえ、そんなことはありません。お互い30歳前後で結婚をしたのですが、直接のきっかけはコロナ禍で、人の少ない地域などにキャンプに出掛けるようになってからです。
東京ではどのような形でお仕事や子育てをされていたのでしょうか。
香奈 結婚したころは二人とも忙しく働いていました。子どもは欲しかったのですが、当初なかなか授からなくて、先に犬を飼うことにしたんですよ。そうしたらその子がわが家に来るのが決まった頃に長男の妊娠が発覚して、犬の名前は「ことぶき」にしました(笑)。 ことぶきのご利益はそれだけで終わらなくって、こんどは年子(としご)で長女を授かりました。長男を産んだ後、一度職場に復帰していたのですが数カ月でまた産休に入ったという流れです。 潤 年が離れていないこともあって、長女が生まれた後は本当に妻が大変そうで。2人の子が別々に泣いたりするわけですから、これは一人じゃ無理だと思って育休を取得しました。
2015年前後くらいかと思いますが、職場での男性の育休取得状況はいかがでしたか。
潤 周囲では誰もいませんでしたね。自分の知る限りでは1人目でした。ただちょうど大きなプロジェクトが一段落したタイミングでもありましたし、上司に相談したら快く了承してくれました。3カ月ほど休んだのですが、周囲の理解もあって、取りづらさなどは何も感じませんでした。
周囲に例がいないとなると勇気がいるお話のように思います。育休取得については夫婦で話し合われたのですか。
香奈 私からは何も言っていないので、本当に彼が自発的に取ってくれました。

潤 いや、まぁ、無言の圧力ですかね(笑)。ただ、子どもの世話はしたいなと思っていました。もともとで言えば全然そんなこと思っていなかったんですが、おいっ子やめいっ子と遊んでいるうちに「子どもっていいな」と思うようになっていまして。それが自分の子どもとなったら、想像を超えてかわいかったんですよね。なので育休も、妻のためというよりも自分がしたくてという面がありました。
なんと素晴らしい。
香奈 ですよね!? そうなんです。うちは料理も手が空いている方が作るといった感じで、特に家事分担は決めたりせずにやってきています。料理を作っていない方が洗い物をする、というのはなんとなくルールなんですが、本当にそれくらいで、特に決めごとをしなくても困らない感じです。
800万円で物件を購入
とはいえ、お二人ともフルタイムで働かれていると、お迎えとか決めごとを作らないと回らないのではないですか。
香奈 うちはけっこう外部労働力とお金で解決しちゃっていました。下の子を妊娠していた時に切迫早産で入院したことがあって、その時にハウスキーパーさんをお願いしてからずっと使うようになりました。互助組織の「ファミリー・サポート・センター」にもお世話になりましたし、復帰当初は、東京駅近くの私の会社の事業所内保育所も利用しました。 潤 ちょうどそのころ、私が業務でクライアント先に常駐になったんです。そのクライアントのオフィスは夕方18時には完全退出しなくてはいけなくて、妻の職場の保育所に私が迎えに行くような生活をしていましたね。ただこれも、何か決めたというよりは必然的にそうなっていた感じです。

そこから、移住に至る経緯を教えてください。
香奈 最初のきっかけはコロナ禍です。もともと旅行に出掛けるのは好きだったのですが、あまり人がいるところに出掛けづらくなったのでキャンプを始めました。富士五湖の周辺とか、那須や軽井沢などいろいろめぐっていたうちの一つが、この長野の蓼科エリアでした。 そうしたら、私がとても気に入ってしまって。「ここに住みたい」ってなったんです。もともと思い立ったら行動する方で、今住んでいる原村の不動産を見に行こうと夫に持ちかけました。 潤 はじめは「いつかは住みたい」といった夢の一つかと思っていたんです。でも妻はそうでもなかったようで、その時に売りに出ていた物件を「買いたい」と言い出したんです。この時はさすがにびっくりしました。 香奈 土地と建物で800万円くらいだったのですが、この時は移住ではなくて東京との2拠点生活を考えていました。もちろん安い買い物ではないのですが、必死に説得しましたね。「これまで行っていた海外旅行に行かない分」「外出時にお願いしていた飼い犬のペットホテル代」などを考えれば、大した費用じゃないとか、なんとか。 潤 私は犬を出されると弱くて。広いところに連れて行ってのびのび過ごさせてやれると思ったら心が動きました。この時は、年に50泊できればいいねと話していましたね。
2拠点生活をされているうちに、もう東京を引き上げようとなったのでしょうか。
香奈 直接の理由は子育てですかね。上の子が小学4年生になるころだったのですが、東京だとそのくらいから中学受験の話題が始まるんですよね。うちはちょっとそういうのとは少し距離を置きたくて、ちょうど私も夫もフルリモート勤務になっていたので、それならいっそ移っちゃおうかと。

長男がつぶやいた「自由」
お子さん含め、みなさん移住については前向きだったのでしょうか。
潤 前向き…だったかどうかは分からないですが、リモートでの仕事にも慣れていたので業務面での心配はありませんでした。長男もそうだった気がしますが、妻が言い出したなら「反対してもどうせ行くでしょ」という感じで、嫌というか、もうそういうものという理解をしていました。 香奈 子どもたちとは「まず1年やってみよう」という話をしていました。そのあとのことはまた後で考えればいいということで。子どもたちも「それならいいよ」と言ってくれましたね。
2023年の4月に原村に移住され、既に1年たっていますね。
香奈 移住してすぐですが、忘れられない長男の言葉があって。何を指して言ったのかは分からないんですが、原村が「自由だ」って言ったんですよ。 思えば彼の学校生活はコロナとともにあったので、ずっとマスクをしていなきゃいけないし、給食も一人でもくもく食べる。外に出掛けようにも人のいない場所なんてありません。東京の暮らしは「密」すぎて、子どもにもストレスがかかっていたんだなと思います。 原村は通学のためにバスに乗って8キロメートル行かなきゃいけないとか、そういう場所なので密になりようがないし、山や川でいくらでも遊べます。子どもにはそれが良かったのかもしれません。東京に戻るというのは、話題にもならないです。
移住をしたことで、ご夫婦に変化はありましたか。
潤 妻が会社を辞めたのが、一番大きな変化ですかね。 香奈 周囲には移住者も大勢いるんですけど、みんないろんな仕事や働き方をしているんですよ。東京では「お仕事は」という質問に所属している会社名や業界を言えば「そこの会社員なんだな」と分かるし、年齢なども含めて年収なども推し量れたりしますよね。でもここだとそんなこと分からなくて、東京での暮らしがいかに型にはまったものか実感しました。 そんなとき、ある人に「10年後に何をしているか考えたほうがいい」と言われて「会社勤めは嫌だな」と思っちゃったんです。組織に属するのが嫌というより、人生の主導権を自分で持っていたい感覚ですかね。

東京では気づけなかった価値観
大きな決断ではなかったですか。
香奈 前職の時に企業の雇用調整のコンサルティングをしていたんです。その経験から、個人からライフプラン設計などの相談を受けることも多くて、それを仕事にすることはできると思っていました。 ただ実際はたまたま、会社を辞めると決めて、ほどなく人の紹介で地元の団体職員の仕事が決まったので、家計の面ではそこまで大きな影響は出ていません。 潤 実は、「いつまで会社員でいるのか」といった感覚は私も持つようになりました。でも、正直妻が会社を辞めたときに「あ、自分が今の会社を辞めるのは少し先になるな」とは思いましたね。 香奈 夫のおかげで、自分がこういう決断をできているんだなとはいつも思っています。 潤 でも私からすると、妻が「移住」という選択肢や、それに伴う価値観の変化をもたらしてくれたんだと思うんです。自分一人なら、あまり変化を求めず今もきっと東京で仕事をしていたと思います。でも、自分では思いもしない選択を妻が持ってきてくれたおかげで、想定していなかった充実感を得られています。 「自分はこうしたい」って思うこと、そしてそれを行動に移すことがいかに大事なことか、この村に暮らして実感しています。
日本最大の都市から、人口約8,000人の村への移住です。困ったことなどはありますか。
香奈 徒歩圏になんでもあった暮らしとは違うので、例えば病院に行くとかそういう時には不便を感じますが、日常ではあまりないですかね。 潤 ものは考えようなところがあって、例えば通学のバス停までも30分歩くんですが、朝そこまで家族で歩くようにしています。交通の便で言えば間違いなく不便ですが、それが家族にとって貴重な時間にもなり得るんですよね。そういう「異なる価値観」に気づけたことが、移住をした最大の価値かもしれません。 本記事についての簡単なアンケートにご協力をお願いします。 アンケートはこちら
写真:竹井 俊晴 掲載日:2024年11月11日