新卒で北海道の地図印刷会社に就職
大学を卒業されて入社したのが、地図会社と伺いました。
はい。北海道の大学に通っていたので、北海道にある企業の中から就職先を選びました。当時から漠然と東京への憧れは持っていたので、東京にも営業所がある会社を探し、官公庁向けなどの地図印刷会社に入社を決めました。入社後、最初の1年間は霞が関の中央官庁や大手民間企業の営業窓口を担当しました。その後、知人に誘われて東京の出版社に転職し、そこで1年半勤務していました。
そこから設立3年目だった建築系SaaSサービスを提供するITベンチャー企業に転職されます。それまでとは業界が大きく異なりますが、何かきっかけはあったのですか。
2社目の営業部長だった上司に「君みたいな上昇志向の強い人はITベンチャーにいったほうがいいよ」と言われたんです。当時少し周りよりも営業成績がよかったこともあって、会社に対しても、上司やチームメンバーに対しても思ったことを口に出していました。改善案はもちろん、ときには不満や欠点を指摘したりしていましたね。もちろん自分ではいいことだと思って行なっていたのですが、あまり社風には合っていなかったのかもしれません。出版・印刷業界は当時から市場も縮小していましたし、なかなか新しいことに挑戦できる雰囲気でもありませんでした。そんなとき、以前株式会社リクルートで活躍されていた営業部長と面談をしたときに言われたのが、ITベンチャーへの転職の勧めだったんです。

上司から転職を勧められるケースは珍しいですね。
今思うとよく言ってくれたなと思いますが、他のアドバイスも含めて親身になって私のことを考えてくれていたのだと思います。その方いわく、「負けん気が強くてチャレンジ精神のある君みたいな人はこれから伸びる業界、例えばITベンチャーで結果を出してキャリアを積んだほうが早く成長するし、より人生が豊になるだろう」ということでした。それまでIT系やベンチャー企業で働くなんて考えたこともなかったのですが、その上司の一言で興味を持って調べるようになりました。インターネットなどで調べれば調べるほど、ITの分野にもベンチャー企業で働くことにもひかれてしまって、これは運命だと勝手に思い込んで転職活動をはじめました。
未経験からのITベンチャー選考突破法
転職活動は順調でしたか。
いいえ、全然ダメでしたね。IT関連のベンチャー企業から大手外資系企業まで手当たり次第に応募しましたが、最初は書類選考すらほとんど通りませんでした。途中で自分のIT知識のなさや、実際に働いている人の雰囲気や意識もわかっていないということに気づき、これはもっとIT業界で働いている人に会う必要があると、選考以外でも知人の紹介などで会いに行くことも続けました。話を聞き続けたことで、少しずつ感覚をつかんでいきましたね。
面接に進まれた企業では、どのようなことを話されていましたか。
転職活動の後半では「法人営業」に強みがあると強調して話していました。ITサービスも多くの場合、商品を企業に販売することでビジネスとして成り立っているわけで、商材は変わっても企業向けの営業スキルは通用すると多くの選考を受けるなかで感じていました。
転職活動の結果、建設会社向けにSaaSサービスを提供するイーリバースドットコム(現:リバスタ)に入社されます。選考はいかがでしたか。
印象に残っているのは、最終面接で当時の社長に「笑顔がいいね」と言われてその場で内定をいただいたことですね。それまでの転職活動があまりに大変だったので、うれしかったのを覚えています。
どのような会社でしたか。
当時は社員数が15名くらいで、利益はこれから出るというまさにベンチャー企業の創業期という状態でした。その頃はまだ「SaaS(Software as a Service)」という言葉もなくて、ASP(Application Service Provider)と呼ばれている時代でした。

転職後のギャップをどう埋めたか
実際に異業種からITベンチャーに転職されて、いかがでしたか。
なかなか大変でしたね。まず社内の同僚たちが使っている用語がわかりませんでした。主にカタカナ用語ですが、プログラミング言語や業界ならではの言い回しなど本当に会話についていけませんでした。コミュニケーションツールも電話やメールではなくチャットツールを使うなど、前職との違いに戸惑いましたね。
その異業種転職の壁はどのように乗り越えたのですか。
用語の壁を乗り越えようと、「Excel」を使って自分で用語表を作っていました。わからない用語が出てくるたびに先輩やエンジニアに聞いて回って、説明を入力していました。すぐに聞く癖をつけたことで、早い段階で把握できはじめ、3ヵ月くらいたったころには、ジャンルによっては先輩よりも詳しくなっていることもありましたね。
仕事はどのような内容でしたか。
最初は全国各地の建設現場に出向いて、自社のサービスを使ってもらいフィードバックをもらうという営業をしていました。全国の工事現場をレンタカーで回って、朝作業員の方たちがラジオ体操をする横でサービス説明をするという日々でしたね。当時は今よりもデジタルサービスへの認知が進んでいなかったので、サービスを理解してもらうまでは時間がかかりました。ただ確実に業務負荷の軽減にはつながっていたので、導入企業は増えていきましたね。5年たったころには建設業界でスタンダードなサービスにまでなっていました。個人的にも、結果がついてきたことで人生で初めての新規事業立ち上げ責任者として事業の立ち上げを経験することにつながりました。その後、5年目には営業リーダー、7年目には東日本のエリアマネージャーを任されました。
一貫して、営業年のキャリアを積まれてきたのですか。
そうですね。ただ、東日本のエリアマネージャーになったタイミングで仕事の幅が広がりましたね。メンバーのマネジメントはもちろんですが、会社の新しい中期経営計画を策定するメンバーに選ばれ、経営視点を持って組織戦略や営業戦略を立てるという仕事にも携われました。
8年勤務してコンフォートゾーンに入っていた
その後、また転職されます。
はい。転職を決意した要因として、8年間同じ会社にいて、サービスも安定的に収益を上げられるようになったことと、最後の年に取り組んでいた営業の「型」をつくるプロジェクトが一段落したことが大きかったです。それまで属人的だった営業活動を仕組み化して、成果を出せる仕組みを構築することができました。
お仕事は順調だったのではないかと思うのですが、それでも転職を決意された理由は何だったのでしょう?
順調といえばそうかもしれませんが、8年も在籍していたことで「コンフォートゾーンにいるな」と感じる面がありました。社内外の関係者と比べて、業界知識や社内状況は他の人よりも知っているけれど、一方で若い頃のように挑戦することに対して自分の中で制限をかけてしまっている感覚がありました。成長が止まってしまったと思ったんですよね。そこで、もう一回チャレンジングな環境で挑戦しようと、ヤプリに転職しました。
しかし、ヤプリは半年もたたずに退職されています。
そうなんです。家族の健康上の理由で、北海道に戻らないといけなくなったため、退職に至りました。会社とも相談したのですが、当時の環境下では遠方で働き続けるのは難しいということになり、結果的に短期での離職になってしまいました。今でこそ冷静に振り返ることができますが、当時は仕事やメンバーにも恵まれていて充実していたので家庭と仕事のバランスで悩みとても辛い時期でしたね。
理想は、現場と伴走できるマネージャー
そうして、札幌に子会社のあったエス・エム・エスに移られたんですね。
はい。北海道で勤務できるSaaS系のサービスを扱う会社を探していたところ、エス・エム・エスが北海道勤務のポジションでスカウトをしてくれて入社することになりました。それまでの経験もあったので、東京の本社で介護事業社向けサービス「カイポケ」のカスタマーサクセスと子会社の戦略立案業務をしながら、札幌にある子会社、株式会社エス・エム・エスサポートサービスで戦略実行と二つの機能長を兼務で務めていました。
約2年間勤務されて、ラクスルに入社されていますね。
エス・エム・エスでは、裁量権も与えていただいて、事業も好調でしたし、懸案だった家庭の問題も東京と札幌の二拠点生活を実現できたことで解決して充実した時間を過ごしていました。ただひとつ私の中の危機感としてあったのが、自分自身の仕事が現場から離れて、企画や戦略寄りになってきたなということでした。これまでずっと最前線で企業などのお客様と向き合いながら、市場の変化やサービスの改善に対応することで結果を残してきたのですが、ポジションが変わっていく中でお客様と接する時間がなくなっていくのが怖かったんですよね。それがきっかけで、転職を考えるようになりました。
やはり現場の感覚は大事ですか。
そうですね。市場の変化のスピードも以前に増して速くなっているので、すぐに把握しなければいけないなと感じます。それにチームで結果を出そうというときに、口出ししかしない人が上に立っている組織は健全ではないなというのも、これまでの経験から身に染みて思っています。現場を知りながらマネジメントができると、人材としての市場価値が高いようにも感じています。
それで現在のラクスルに転職されたわけですね。
はい。ビズリーチ経由でラクスルからスカウトを受け取り、現場の営業も含めてエンタープライズ領域の新しい事業・組織の立ち上げに携われるということで、これはチャンスだと思い転職を決めました。実際に今はマーケティング&Sales-Ops、インサイドセールス、アカウントセールス、カスタマーサクセスまでを各部門で連携して取り組むいわゆる”TheModel型”の営業組織の立ち上げに従事しています。チームメンバーの採用も強化しており、現状8名ですが、来年までには20名に増員する予定です。
最後に、千葉さんが将来成し遂げたいことについて教えてください。
娘がいるのですが、大人になる20~30年後によりよい社会で生きてほしいなと思っているんですよね。そのために、社会の役に立つサービスを広げていきたいと思っています。その実現のためにもチームで成果を出すことに注力できればと考えています。20代のころは自分ひとりで結果を出せばいいんだと独りよがりに頑張っていましたが、そこからマネジメントなどの経験を通して、チームで動いたほうが成果は確実に大きくなることを実感しました。だからこそ、まずはこれまで以上に強いチームをつくって、ラクスルの新規事業を成功させたいですね。

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