オーナーからの突然の退職勧告 人脈と経験が生きた転職活動

不動産M&Aなどを主軸とするブティック型投資銀行のフィンテックグローバルで働く足立裕也さんは、2020年2月に入社。業界知識を生かし、また新しい知識の習得にも励むことで結果を出し、現在は子会社のフィンテックアセットマネジメントで執行役員となっています。転職直前に勤めていたのは、都内の資産家が経営するオーナー企業でしたが、突然職場を去ることになったといいます。どのような経緯があったのか聞きました。

足立 裕也

(あだち ゆうや)

大学卒業後、不動産業界へ。2017年に資産家がオーナーを務める企業に転職。物件の売買や管理のほか、フィットネスジムの運営などを経験。現在はフィンテックグローバルに所属し、出向先のフィンテックアセットマネジメントで執行役員投資営業部長を務める。39歳。

富裕層のオーナー企業に入ってみたら

大学卒業後、不動産業界を選んだ理由を教えてください。

学生時代から不動産や金融に興味があり、宅建(宅地建物取引士)の資格をとったほか、ダブルスクールで司法書士の予備校にも通っていました。2~3歳上の先輩たちが就職氷河期で就活に苦しんでいたので、何らかの資格があったほうが安心と考えていました。ところが、現役の司法書士5人に相談したら、5人がみな口をそろえて「民間企業に行け」とアドバイスしてくれました。民間に行ってから司法書士になることはできるけど、その逆はなかなか難しいという教えでした。 それで当時、勢いのあったベンチャー気質の不動産上場企業を選びましたが、リーマンショックの影響により入社の翌年に民事再生法の適用をうけて辞めざるをえなくなりました。その後は仕事上でのつながりを生かしながら2社を経て、前職の会社に入ることになりました。

前職はどんな企業でしたか。

JR山手線のとある駅前にビルやマンション、ホテルや土地等を多くもっている富裕層のオーナー企業です。50代の社長とは、若手のころからお付き合いがあり、お仕事をよくご一緒する関係でもありました。 地域の行事等にお金をたくさん出すような街の顔役でもありながら、取引先に対しては腰の低い印象でした。取引をしているときから、私には「わからないことがあるので教えてください」「良ければ一緒に働きませんか」と言ってくださっていました。ビジネス上の恩義もありましたし、地域に根ざした会社で働くのも悪くない生き方だろうと考え、2017年に、そのオーナー企業に転職しました。

想像とのギャップはありましたか。

不動産の取引や開発に携わりたかったのに、ひょんなことからフィットネスジムの運営にも携わることになってしまったので、ギャップは大きかったです(笑)。入社直前に知ったのですが、オーナーはフィットネスジムのフランチャイズ運営も手がけていました。そこの店長や経理が辞めてしまったから、「足立くん、やって」ということで、店舗運営の責任者に任命されました。仕事として6割くらいは、全く経験のないジムの運営にかかわっていたでしょうか。業務フローの構築やアルバイトの採用、会員同士のトラブル対応などは大変で、不動産事業にフィットネスジム運営が加わり本当に手が回らなくなったり、ジム運営に詳しい知人に業務委託を発注し手伝ってもらう程でした。そんななか「いまやっているのは本当にやりたいことなのか」と、常々悩んでいました。 富裕層のオーナー企業の場合、オーナーはいわば「お殿様」のケースが多いとされます。前の会社は、そのタイプの典型的な会社でした。「社長と部下の関係ではなく、殿様と家来。文句を言うなら、江戸時代なら切腹ですよ(笑)」という古株社員の言葉は言い得て妙でした。「オーナーの判断は全てに優先する」世界。もちろん良いこともあって、「お殿様」がイエスといえば基本的に仕事はなんでも実現できます。

オーナーに読み上げた直筆の手紙

具体的に大変だったことはありますか。

オーナーが所有するビルに新しくテナントが入居する際に、ビル管理会社から蛍光灯の設置工事を要請されたことがありました。その物件はリニューアル工事を経て入居者を募集していたのですが、蛍光灯はまだ設置していなかったので、室内は電気がつかない状態でした。最初は、オーナーと管理会社でやり取りを行っていたのですが、オーナーが失念しており、管理会社の担当者から「何とかしてほしい」と頼まれました。「50万円以下なら足立くんの判断で発注していいよ」とオーナーに過去言われていたこともあって、以前の見積もりなども参考に、価格交渉の上発注しました。 なんとかテナントの入居に間に合わせて設置工事は完了したのですが、そのあと「オーナーが怒っている」と別の社員から伝えられました。「許可なく勝手に発注した」というのです。 ほかにも、オーナーがやろうとしているビジネスに「このやり方ではトラブルを招く可能性があります」と進言したことがあり、実際にトラブルとなってしまったこともありました。この場合、オーナーの中では「足立くんの説明がわかりにくいから、僕が誤認したんだ」という理屈となり、私が責任を負うこととなります。「お殿様」が正しい判断をするために正しい情報を出せなかったことについて、「家来の責任」になるわけです。

独特の世界のように感じます。退職したきっかけはあるのでしょうか。

こういうことが重なり、悩み続け、2019年の夏ごろ、オーナーにお伝えしたいことを、A4縦書きの便せんに手書きでしたため、本人の前で読み上げたんです。 〈富裕層で不動産オーナーである社長と、会社員として仕事をしてきた私とでは価値観や考え方、重視すべき事項などに大きな違いがあり、その隔たりを埋めるべく話し合いをしたい〉 SMAPの『セロリ』じゃないですけど、「育ってきた環境が違うから」という内容ですね。もちろん失礼にあたらないように、何度も何度も推敲(すいこう)して書き上げたもので、読み上げるのも本当に緊張しました。文句を言いたい気持ちはみじんもなく、ただお互いを本当に分かり合いたいという一心でした。

オーナーの反応はいかがでしたか。

ひと呼吸おいて、「そこまで言うなら辞めて」とだけ言われました。

すごい世界ですね。どのように感じたのでしょうか。

ショックでした。他の社員は「そんなことを直接言うものではないね。ただ、初めての反発だし、きちんと謝ったら許してくれるはずだよ」とは言ってくれましたが、抱えているプロジェクトが終わる2019年末から転職先を探し始めました。 それなりに良い給料をもらえていましたし、一定の権限もあったので、謝罪して、前職に残る選択肢もあったと思います。ただ、15年後か、もっと後かはわかりませんが、社長が引退し、当時学生であった社長のご子息が跡を継ぐことになるわけです。社長の番頭として働いていた私と、ご子息とで馬があうかはわからない。「邪魔だから出ていって」と言われたら、法律の問題はおくとして会社にはいられませんよね。この先の未来を全部賭けるのもリスクが高いと考え、退職する方向としました。3カ月程度は転職期間が欲しかったので3月末で退職するつもりでしたが、年明けの2020年1月にオーナーから面と向かって「まだいるの?」と言われ、退職を急ぐことにしました。

候補にあがった3つの会社

転職活動はスピード感をもってすすめたのですね。

はい。年明けに目についたのが、現職企業に在籍している塚田拓士さんの年始の挨拶メールでした。不動産業界や投資業界には、ライバル企業の社員とも平気で飲みに行ったりざっくばらんに語り合ったりするカルチャーがあり、塚田さんとは10年くらい前から交流をさせてもらっていました。メールの文末のテンプレ部分だったと思いますが「転職者を求めています」と書いてあったんですよね。それを見て、すぐに電話をかけて「僕みたいな人間はどうですか」と冗談半分で切り出したら、2日後に面接が決まりました。1時間の面接が終わると、社長から「いつから来られますか?」とすぐに口頭での内々定をいただきました。

他の会社は応募しましたか。

現在の企業から内定をもらった時点で、ヘッドハンター経由で声がかかった2社の選考が残っていました。どちらもオーナー企業ですが、上場している会社でした。 2社のうち、A社は大学時代の友人が働く会社です。エントリーを知った友人は、ヘッドハンターの了承を得たうえで、直接電話をかけてきてくれました。その会社とは、以前勤めていた会社で、取引が直前でご破算になったことがあったんです。

どのような内容だったのでしょうか。

土地取引で「その土地に建てる建物の設計プラスそれ以外の建物の設計を当時在籍していた企業に発注すること」を条件に売却交渉をすすめていました。しかし、A社からは途中で「もう1件の建物設計の発注は確約できない」と約束をほごにされ、「後で必ず別の設計を発注するから、今回は土地を売ってほしい」と求められました。そのとき、「今回の不義理がある以上、次の約束を信じることはできない。だから売ることはできない」と突っぱねたんですよ。交渉相手が、A社の役員で「そのときの筋を通す態度や、年齢や役職の差のある相手でも臆さない様子が気に入ったので、なんとしても引っ張れ」と友人経由でコンタクトを取ってきたということでした。

もう1社はどんな会社でしたか。

もう一つのB社は全く接点のない企業でした。「内定は出せる」と言われたのですが、上場企業とはいえ、創業社長が実質的に経営するオーナー企業であり、その怖さを身をもって体感していたので、「オーナーに会ってから決めたい」と頼みました。 オーナーが海外から帰国することがわかり、空港周辺や帰りの移動中のタクシーでも構わないので、30分間でもいいから話す機会がほしいと伝え、アポをとりました。でも、アポ前日にキャンセルされたんです。こちらとしては、30分も時間がとれないようであれば、人生は賭けられないと判断し、辞退しました。

重視した「学びのある業務内容」

3社の給与条件はどうでしたか。

提示された条件としては、現在の会社を100とすると、A社は120で、B社は140といった感じです。待遇だけみれば、条件が一番よくない会社を選んだといえます。ただ、結果次第ですぐにランクも上がるし、ボーナスも出る。自分次第でどうにでもなると思いました。

給与以外にどのようなことを考えたのでしょう。

現職を選んだのは、新しいビジネスを学べることと、上司となる塚田さんと合いそうだというところでした。 業務内容としては、A社は不動産売買や開発事業がメインでしたので、今までの仕事を極めていく生き方となります。B社は中古マンションの買い取り再販事業がメインでしたが、余剰資金を生かした不動産賃貸事業も手掛けておりその責任者というポジションでした。一方、今後、日本の人口は減るため、従来型の不動産ビジネスはいずれ縮小するはずなので、同じことをやっていても、これから先は生き残れないと思っていました。 だから、不動産だけでなく、不動産込みで会社をまるごと買う「不動産M&A」という現職のビジネス領域は魅力的でした。会社を買収できる人も、不動産を買える人もそれぞれいますが、両方まとめて取引できる人は本当に少ないので、「この会社で学ぶことは多い」と思えたんです。 また、誰のもとで働くのかは重要ですよね。オーナー企業にいたからこそ思いますが、仕事って、独りでは完結できず誰かしらと関わるじゃないですか。特に「上司との人間関係が円滑じゃないとしんどい」わけですよ。その点、塚田さんとは合うだろうと思えました。

入社2年半で執行役員になりました。今後のキャリアの展望はありますか。

入社当時は世間一般でいう課長職でしたが、いまは執行役員になりました。チームの人数も、入社当初から3倍になり、新卒のメンバーも中途採用のメンバーもいます。投資においてプレーヤーの責任は軽くありません。50億円の案件で、査定額を1割間違うだけで、5億円の損失が発生するわけですから、失敗の影響が大きいのです。その分、個人の力量がどうしても問われることとなり、他の業界に比べれば年功序列的要素は薄く、業界的に給与水準も高いことがあります。私としては、部下に、会社がつぶれても一人で生き抜いていける力をつけてもらいたいと思っています。

ご自身のキャリアはどう考えていますか。

自分がやりたいことができているので、今は結果を出し続けてやりたいことも継続できればと思っています。部下のマネジメントもしていますが、自分としては投資における売り買いの現場のプレーヤーという側面は捨てたくありません。マネジメントをしながら、プレーヤーとしての経験もしっかり積んでいければ幸せですね。 本記事についての簡単なアンケートにご協力をお願いします。 アンケートはこちら

写真:研壁 秀俊 掲載日:2023年3月15日