老舗企業から転職直後の大きな挫折 「考え方の素養がなかった」

2022年に、15年以上勤めた「老舗」のメーカーから、2017年設立のベンチャー「助太刀」に転職した大槻俊介さん。新卒で入社した前職では営業やマーケティング部門で新規事業開発などを担当していましたが、東京から関西への異動の内示をきっかけに、転職を決意したといいます。新しい会社に「就社」ではなく「就職」すると決めて飛び込んだものの、入社当初は「すごく苦しかった」と語ります。現在、チームリーダーとして活躍する大槻さんに、転職や入社後に感じたことなどについて振り返ってもらいました。

大槻 俊介

(おおつき しゅんすけ)

新卒で大手紙製品メーカーに入社し、営業から、BtoBマーケティングや、通販コンサルティングなどのディレクターを経験。2022年3月に助太刀に入社し、現在マーケティングチームのリーダー。38歳。

転勤と子育て両立できず退職決意

前職はどのような仕事でしたか。

紙製品を扱う業界最大手のメーカーで、最初は大手の金融機関や教育機関を相手に法人営業をしていました。その後、新規営業開拓の部門に移りました。最初の数カ月は売り上げゼロの状態で大変でしたが、少しずつ結果が出てきて取引ができるようになってきました。2016年には課長代理として、11人のチームのマネジメントも経験。その後、自社とクライアント、双方のマーケティングを担当するチームが発足し、そこで課長をしていました。レガシーといわれる業界において、BtoBやBtoC、その両方の領域でのマーケティングに立ち上げから携われました。

退職を検討された時期はいつごろでしょうか。

退職を決めたのは2021年の12月28日です。日付まで覚えているのには理由があります。当時は仕事が充実していて、「どんどんやっていこう」という時期で、良いメンバーもそろってきていて、仕事に不満はありませんでした。 一方、その年の12月はプライベートに変化がありました。妻のキャリアの変化、子供の小学校進学、新居購入のタイミングが重なった時期でした。そんななか、12月28日に、大阪行きの内示が出ました。新しいミッションはとてもやりがいのある面白そうなものでしたが、妻のキャリアと子育てを考えると1人で行くことも連れて行くことも不可能な状況であったため、その日、転職することを決めました。

転職活動はどのように進めましたか。また、会社選びの軸はありましたか。

2022年明けの正月休みに、妻の実家で転職サイトに登録したのを覚えています。30社ほどエントリーして、本格的に面接に進んだのは2月ごろです。自分で近い業種の会社を調べたり、ヘッドハンターに紹介されたり、直接声をかけていただいた会社もありました。 会社を決める軸についていえば、「東京勤務」はマストだったのに加え、今までいくつかBtoCのマーケティング支援やビジネス、BtoBの自社マーケティングに携わってきたので、マーケティングの経験を生かせる企業に行きたいというのがベースにありました。 前職は紙製品を扱っていましたので「レガシー系ビジネス」にカテゴライズされると思いますが、そのなかでクリエーティブ関連の受注といった新規事業、コアビジネスではない新しい商品、無形のものを販売した経験がありました。なので、今回は、無形のビジネス・サービスを扱っている企業に行きたいというのはありました。

現職とはどのように出会い、選考はどのように進んだのでしょうか。

助太刀との出会いはヘッドハンターからの紹介です。書類を提出し、1次面接は人事担当の執行役員の方とでした。オープンポジションでの応募という扱いで、企画部門やマーケティングなどいくつかあるうちから決めていこうという話をしました。私としても、初の転職でしたので、自分の強みを客観的に見られているのか不安な部分がありました。ただ、その面接の最後に「Opsもいいかもしれないな」と言われたんです。Opsとはオペレーションのことであり、営業効率の最大化に向けて、プロセスを整理するような役割ですが、当時は「何が良いのか」どころか、言葉の意味も全く分かっていませんでした。

2次面接はいかがでしたか。

当時の事業担当執行役員(現在は取締役最高執行責任者)との面接でした。キャリアにおいてやってきたことなど面接でよくある話をしたところ、印象的だったのは、データを可視化してデータで意思決定できるような組織にしようとしていることや、会社を立ち上げて急成長しているけれど、まだまだ人が足りていないことなどを話してもらったことです。ほかの会社の面接では、困っていることなどを聞くことがなかったので、「そんな話もしてもらえるんだ」とうれしく感じました。この2次面接が最終となりました。

「就社」か「就職」か

そのほかに内定はあったのでしょうか。

はい。現職以外に、メーカーと大手物流企業からのオファーもいただきました。3社内定が出たものの、率直にいってその時点で、明確なキャリアイメージは湧いていませんでした。

どのように絞り込んでいったのでしょうか。

最終的に悩んだのは、助太刀と大手物流企業の2社です。大手物流企業は、レガシーといわれる企業ですが、新しい取り組みを推進している企業でした。これまでの経験でいうと、自分はずっとレガシー企業にいて、「泳ぎ方」が分かっている分、レガシー企業の方が向いていると思ったんです。一方、スタートアップ企業の泳ぎ方は全然違うんだろうなという不安はありました。

不安がありながら、助太刀に決めたのはどんな理由ですか。

最終的に、よくいわれるように、自分はこれから「就社」するのか「就職」するのか、つまり会社に就職するのか職種に就職するのか、どっちなのかという問いに行きつきました。 「就社」のイメージ、つまり1つの企業で働いていくというのは、会社の辞令に従ってどの部門でもどの場所に行ってでも働くという側面が強いと思っていたのですが、転職活動のきっかけとなったのは前職でした。そう考えると、「次に入る会社でずっと定年まで働く」、つまり次に入る会社にずっと在籍し続けるようなビジョンはもうないなと思いました。そうなると、いまから自分がやろうとしているのは、職に対しての「就職」だろう、そちらの選択をするべきだろうと思ったことが大きいです。

助太刀に入ることが「就社」でなく「就職」になると考えたのは、どのような理由でしたか。

自分なりの「就職」を前提としたときに、40歳までに1回はスタートアップ企業で働いてみたい、つまりレガシーから新しい文化の会社に入って、そこで働く経験を積みたいという部分が大きかったです。 経験やカルチャーの全く違う会社に身をおく、ある意味大変な経験を、30代のうちにしたいと思うと、助太刀に傾いていきました。

ご家族はどのように言っていましたか。

やはり会社が安定しているのかという点は気にしていました。ただ、前職もそうですが、「一見安定していると思っている会社のほうが安定ではないことがある。そういう時代ではない」という話をして納得してもらいました。

待遇はどのように変わりましたか。

年収は前職とほぼ同じでした。ほかの内定が出た会社も、ほぼ同程度でしたので、どこに入るかの選択をする際、年収は影響しませんでした。 内定が出たのが2022年の3月の上旬で、3月中旬に退職して、助太刀に入りました。

転職直後の大きな挫折

入社後はいかがでしたか。

最初は営業のOpsチームで、営業企画として営業支援をしていました。入社後、いきなりうまくいったわけではなく、むしろ意思決定や考え方など、すべてが前職と全然違って、大きな挫折を味わったんです。「こんなにも分からないことばかり」という状況で、率直にいってものすごく苦しかったです。入社後3カ月くらい経過した6月ごろが一番苦しかったです。それから7月、8月になって少しずつ分かってきた感じでした。

何が苦しかったのでしょうか。

言い方が難しいのですが、知識が足りないということではなく、「考え方の素養がなかった」というか。身につけていないといけないテーブルマナーのようなものがなっていなかったんです。カルチャーショックを受けたということです。

どういった部分で、考え方の素養がないと感じたのでしょうか。

イシュー思考や課題設定に関する考え方でしょうか。例えば受注率が下がっているのにアポ数だけ増やしても効果的ではありませんよね。しかし、当時はつい「アポ数はがんばれば増やせるから、そっちから取り組もう」と考えがちでした。施策の妥当性やインパクトを評価しながら考えるという基本的なことに、とにかく四苦八苦しましたね。今まで使ったことのない筋肉を使わないといけないという感じです。 前職ではこの改善施策が良いかなと思ったら「取りあえずやってみよう」というやり方でしたが、今の会社では、「そもそも意味があるのか」「他のことをやった方がいいんじゃないか」といった指摘に答える必要があることが多い。実際に人数も予算も限られているなかで、1つの実行が与える影響はプラスだろうとマイナスだろうと、大きいわけですから、考えざるをえないということです。

いま、リーダーとして活躍されていますが、入社当時に苦労したことをどのように乗り越えたのでしょうか。

他のメンバーが作った資料をまねして、周囲のフィードバックを受けながら、本当に少しずつ学んでいきました。助太刀では年齢やキャリアに関係なく、ハイレベルなクリティカルシンキングを実践しているメンバーが多かったため、なんとしても食らいつきたいという一心でしたね。 結果として、みんなの協力をもらってアウトプットが出せるようになってきました。マーケティングチームに入り、入社から半年をすぎた11月ごろからリーダーになりました。当時は4人のチームでしたが、人も仕事も増えてきて、大きくなってきました。やりがいを感じますし、そこまで任せてもらえるというのがとてもうれしく感じています。

今後のキャリアの展望について教えてください。

マーケティングでも営業企画でも、会社の枠を超えて業界のメソッドになるような、自分の名前がついたアウトプットを出すことでしょうか。例えば、マーケティングで特殊なことを実現した助太刀の大槻俊介としてメディアに紹介されたりとか。メソッドのようなものを発明して業界のなかで認知されたいという思いがありますね。今後1年で、そのようなことが実現できればと思っています。 本記事についての簡単なアンケートにご協力をお願いします。 アンケートはこちら

写真:研壁 秀俊 掲載日:2023年4月24日