激務に苦しんだコンサルタント時代
情報セキュリティを専門にしようと思ったのは、なぜだったのでしょうか。
新卒で入社してから十数年間、Slerとして勤務した後、前職の製薬関連会社に入るまでコンサルティング会社数社に在籍していました。その際に「情報セキュリティの需要がありそうだな」と感じたのがきっかけです。それから約5年かけてCISSP(セキュリティプロフェッショナル認定資格制度)など、グローバルで通用する関連資格を5つほど取りました。
コンサルティング会社から、前職の製薬関連会社に移った理由を教えてください。
自分としては、もともと事業会社に入りたくて、転職のタイミングごとに可能性を探ってはいましたが、良いところと縁がなかったんですよ。コンサルティング会社は、そこまで積極的に選んだとはいえない形での入社でした。 また、いざ働きはじめると、通勤に2時間かかる常駐先で早朝から終電まで働くなど、激務に苦しみました。「常駐先を変えてほしい」と直訴し、常駐するようになったのが、ある製薬会社でした。「製薬会社のバックオフィスはのんびりしていていい」とうわさに聞いていましたが、実際にとても働きやすく、製薬関連会社が転職先として浮上しました。
前職の製薬関連会社ではどのような仕事をしていたのですか。
情報セキュリティチームの一員として、どのようなセキュリティが効果的かといった戦略や計画を立てていました。実際に手を動かすのではなく、マネージャー的な役割です。製薬業界はグローバルな基準で厳しく規制されています。その基準は、最も厳しいルールを持つアメリカやイギリスに合わせる傾向が強いんですよね。なので、各部署は市場も大きいアメリカを頂点とするグローバルな組織体制を組むことが多くなっています。 一方、自分のチームは独特で、日本、欧米、アジアなどとエリアごとに独立した担当を設け、業務を行っていました。同僚たちとも仲が良く、毎週のように飲みに行っていましたね。

一度始めると活動が辞められなく
希望して入った業界で、職場の雰囲気も悪くないのに、なぜ退職を検討することになったのでしょうか。
この製薬業界の規制は一般的に薬の副作用情報などに適用されます。ただ、入社してしばらくすると、自分のチームも、米欧中心の「グローバル」基準に合わせることになりました。そこで、アメリカの大手ヘルスケアテックからサイバーセキュリティのトップをメジャーリーガー並みの年俸でヘッドハンティングしてきたのですが、その人が非常に辣腕(らつわん)で。トップマネジメントに提案し、米国中心の体制をつくることを認めさせたのです。その結果、自分を含め、日本側の意見はほとんど受け入れられなくなりました。 上から目線で、否定的なことばかり言う性格にも悩まされました。給料があまり伸びないこともあり、2022年夏ごろから「もう少し良い会社があるだろう」と思うようになりました。
その後、転職活動に本腰を入れるようになったのはなぜですか。
最初は、絶対に辞めると決めていたわけではなかったのですが、2022年9月に転職サイトに登録し、ヘッドハンターと面談を重ねました。転職活動は毎回そうなのですが、始めると、途中でやめられなくなるんですよね。転職活動中に、企業から「来てほしい」などと言われると、自分も「こういうことができそう」とか、転職後の良いイメージしか浮かばなくなりやすいんですよね。会社は良い面を見せて人材募集するもの、と個人的には感じているんですが、自覚していても、ひとたび転職活動を始めると転職することが今後のキャリアにとって正解だという意識になってしまいます。
コロナ禍になって初めての転職活動はどうでしたか。
前回までとはすっかり変わったと思います。そもそも、転職回数の多さを気にする雰囲気を全然感じなくなりましたね。情報セキュリティ系はニーズが高まっているという背景もあり、「人材を採用しなくては」という意識も大企業を中心に高まっていて、以前よりも選択肢は広がっていました。 面接がリモートに切り替わった影響も大きかったです。こちらも在宅勤務なので面接が自由に受けられる状態で、最大で週10回ほどこなしていました。

面接官の笑顔に手ごたえ
さまざまな可能性から、どのように選択肢を絞り込んでいったのでしょうか。
「会社四季報」のデータ等から金融機関は給与がそこまで高くないと思っていたのですが、ヘッドハンターから「総合職に限定すればすごく高いよ」と聞き、「じゃあ金融機関にします」、と(笑)。10月ごろからメーカー、ゼネコン、飲料、ゲームなど大企業15社ほどの面接を受け始めましたが、そのうち3つが金融機関でした。
転職先に選んだ金融機関の選考はどのように進みましたか。
1次面接は課長クラスの人から、これまでの仕事の経験やスキルなどを聞かれました。セキュリティ部門のなかでも、どこにマッチするかを見極めるためのものだったと思います。2次は、所属する部門長が出てきて、メインの話は10分ぐらいで終わり、自分に興味がないのかな、と思ったら終わり際に「次最終だから」と言われまして。ヘッドハンターの話では、10回くらい面接があるケースもあるようですが、自分は3回で終わりました。 最終面接がけっこう変わっていて、担当者2人が交互に30分ぐらい立て続けに質問してきました。ヘッドハンターからは「けっこう落ちます」と言われていましたが、終わったときに面接官がにっこりとほほ笑んでいるのを見て、「受かったな」と思いました。
金融機関はほかに2社受けられたと思いますが、どのような点を重視したのでしょうか。
ワークライフバランスが優れている点です。仕事に時間を消費しすぎることの弊害はコンサルタント時代に学んだので。2次面接まで進んだ別の金融機関は、平均残業時間が80時間と聞き、やめました。転職先の金融機関は、20時間ぐらいというイメージでした。
昔の同僚に電話して探った内情
他に内定はあったのでしょうか。
はい。日系コンサルティング会社からのオファーがありました。転職先の金融機関の内定が出て、オファーを受けてから回答期限が来るまでに同コンサルティング会社の選考が進みました。具体的には、金融機関のオファーは11月の第2週で、回答期限日は第4週でした。コンサルティング会社はその2週間の間に面接が2回あり、オファーが出ました。
オファーの内容はどうでしたか。
「金融機関のオファー内容を教えてほしい。その額に年収を3桁万円単位で上乗せしてオファーを出す」ということでした。一瞬、お金に目がくらみかけました。しかし、コンサルティング会社の激務のイメージが離れませんでした。以前勤務していた会社の同僚が、その日系コンサルティング会社にいたんですよね。それで電話したら、「お前が辞めて、いまの製薬関連会社のポジションがあくなら紹介してほしい」と言われたくらい勤務が大変な様子でした。その時点で、金融機関に行くことしました。 その後、もう一度コンサルティング会社から連絡がありましたが、お断りし、金融機関に内定受諾の連絡をしました。待遇面としては、前職より年収ベースで200万円以上、上がりました。

経験社数が多いなりの面接の工夫
面接から内定までのスピードが速いのが印象的です。面接がうまくいくコツのようなものがあるのでしょうか。
コンサルティング会社を受ける頃には面接に慣れすぎていて、自分で面接の場を回せるようになっていました。ある金融機関の1次面接で「よくそんなうまく自分の職歴を整理して答えられるね」と感心されたほどです。経験社数が多いなかで、過去に在籍した企業をただ時系列で説明するのではなく、「SIer」「コンサルティング」「事業会社」といったふうに「箱」にして、かつそれぞれの箱の中で常にIT・セキュリティという軸で働いていたという「キャリアの一貫性」を伝えるように工夫していました。それぞれの箱の単位で学びや経験を伝え、事業会社でやりたいことへと話を展開させると、相手も納得してくれます。週に10回も面接を受けていたら、誰でもできるようになると思いますよ(笑)。 あと、話を3つの要素に分けることを心がけました。面接の終わりに「何か質問ないですか」と聞かれることがよくありますが、いくら残業時間が気になるとはいえ、単刀直入に聞いては加点要素にはなりませんよね。ですので、「面接で組織、業務内容、ワークスタイルの大きく分けて3つの話を聞きました。組織、業務内容はよく理解できましたが、最後のワークスタイルの部分を深掘りしたいのですが」と前置きします。そうすると、残業時間について尋ねても不自然ではなくなります。さらに、あらかじめ仕事への適応具合を測る自分なりの基準を持って面接に臨んでいることが面接官に伝わることは、プラスの印象になると思います。
このスキルはコンサルティング会社で学んだのでしょうか。
コンサルティング会社もそうですが、前職の製薬関連会社での経験が大きいかもしれません。本社勤務ということもあり、忙しい役員に口頭で説明しなくてはならない機会がたびたびあったのですが、その際に話を3つに分けると、ものすごくおさまりがよいなと。3という数字は魔力を秘めていると思います。人は3つに分類されていると、無意識的に正しいと思う傾向があるというか。4つだと冗長に感じて聞く気を失うし、2つだと観点が足りていないように感じて相手が反論や批判の姿勢になりがちなんですよね。だから、特に口頭でのコミュニケーションにおいては、多少無理やりにでも話を3つの箱に分けて話す癖がつきました。

申し出た「格下げ」
退職時、引き止めなどはありませんでしたか。
金融機関のオファーを受諾してから、12月に退職すると伝えました。そうすると、当時の役員から「どうしてもやめないでほしい。やめる理由があるなら、考えるから」と慰留されました。実際、数カ月後に新たなグローバルのセキュリティ管理体制が発足するタイミングだったので、自分としてもかなり心苦しかったのは事実です。なので、条件を2つ出しました。1つは「給与を1.5倍にすること」です。実際に検討してもらったようですが、「前例がない」ということで実現しませんでした。
もう1つの条件は何でしたか。
「役職をメンバークラスに下げてほしい」と言いました。
降格ということですか。なぜですか。
まじめな話、責任は軽くて給与が高いほうがいいと思っています。コスパという言葉がはやって久しいですが、会社から見ると、社員のコスパは「個人の貢献/給与」ですよね。社員から会社を見ると、分子と分母がひっくり返って、「給与/個人の貢献」と考えられるのではないでしょうか。その意味で、給与は高く、貢献の期待値が少ないほうが、社員にとって「価値の高い会社」になると思っています。これは価値工学的な視点で考えれば理にかなった話だと思います。 とはいえ、あえて実現が難しい条件を突きつけた格好となりました。契約交渉で折り合わなかったというかたちにすれば、プロ野球選手の交渉と一緒で、互いにとってすっきりするのではないかとも思いましたね。お互いに離れる理由を作るというのは後腐れなく転職、いわゆる円満退社をする上で有用なテクニックだと思います。
今後のキャリア展望を教えてください。
有名企業でいい給料をもらい、60歳ぐらいまで働きたい、それに尽きます。有名企業で働きたいというのも、事業内容というより、単純に安定した仕事だからです。生涯もらえる給料の期待値を考えたとき、同じ額だとしても、そのプランが崩れるリスクは、やはり有名企業のほうが低いでしょうし。もともと、仕事へのロマンチックな考え方はないですね。振り返ってみると、就活や新入社員の頃からやる気はなかったと思います(笑)。 個人的に、会社員はどんなにがんばって働いても、究極的には得られるものはお金以外にないのではないかとも思います。仕事を通じたやりがいや自己実現というものは、思い出づくりの一種だと考えていて、人生の中で仕事のやりがいや自己実現を過剰に求めるというのは視野狭窄なように感じます。あくまで個人的な見解で、一般的ではないと思いますが、私はそう考えています。なので、いまはワークライフバランス的な観点から、自分のための時間を増やしたいと思っています。いつか好きなだけ好きな映画を見たり、本を読んだりする余裕が欲しいと思っています。 本記事についての簡単なアンケートにご協力をお願いします。 アンケートはこちら
文:福田 小石 写真:横濱 勝博 掲載日:2023年7月5日