新卒後の4年間で4社経験 「もう後がない」覚悟で得た事業部長のポジション

自社開発のプロテインの広告運用に取り組む三上拓哉さんは、26歳までに3社を経験し、うち2社の在籍期間は1年未満。現職の4社目でプロジェクトリーダーに起用され、「ジョブホッパー」から抜け出し、「腰を据えて」働けるようになりました。「ここは自分に合わない」という悩みにぶつかったとき、どのような行動を起こしたのか、どのように今の職場にいたったのかなどについて、話を聞きました。

三上 拓哉

(みかみ たくや)

武内製薬のプロテイン事業部長。化粧品や医薬部外品を扱うスタートアップ「武内製薬株式会社」プロテイン事業部で自社開発のプロテインのブランド全般を担当。一橋大学経済学部を卒業後は大手電機メーカー、ベンチャー2社を経験し、2022年1月から現在の会社に入社。27歳。青森県出身。

大手企業を1年弱で退職

新卒ではどのような会社に入りましたか。

大手の電機メーカーです。モヤモヤした明確なイメージがないまま就職活動を始めてしまいました。長い目で見て安泰だろうということで「大企業」であることや、新しいことに向かう姿勢で会社を選びました。マーケティング職を志望していましたが、実際の配属は関西にある本社の海外営業でした。海外といっても、ほぼオンラインのルート営業で、半年ほどの研修を経て、実務を始めてからすぐに「辞めたい」と考えるようになりました。

なぜでしょうか。

今思えば、心がまだ「大学生」だったのだと思います。配属先の年齢層が高くて、私の上が30歳で若手のエース候補。メンバーの多くは40代、50代でした。「自分が中心になれるのはいつのことだろう」と気が遠くなってしまいました。ルーティン業務に魅力を感じなかったことから、1年以内で転職に動きました。

大企業の次に選んだ会社はどんな軸で選びましたか。

「スタートアップ企業」「企画系」「東京」のあたりの条件を満たす会社を探しました。東京の広告を運用するスタートアップ企業に、Web広告の運用職として入社しました。クライアントから受けた案件を、FacebookやInstagramなどのSNS広告を回したりするほか、アプリ広告も手掛けたりしていました。

その広告運用企業は2年間在籍したとのことですが、仕事は合っていたのでしょうか。

仕事は好きでしたし、会社の組織づくりに携わったり、後輩を育てたりするポジションやプロジェクトリーダーを任されるまでになりました。とはいえ、裁量が限られているもどかしさがありました。案件ベースでの担当ですから、会社や上司など社内外のしがらみがあって、提案もなかなか通らない状況で。 また、新型コロナで在宅勤務になったことも退職の大きな要因です。1年弱在籍して、ようやく仕事にも慣れてきて、終われば友達と飲みに行くような生活が楽しかったんですよ。そんなときに、新型コロナが大きく社会に影響して、気分的に落ち込みもありました。

細かい作業が苦手だった

次に選んだ会社はどのような軸で選んだのでしょうか。

より1社の顧客に寄り添って、提案スキルも磨きたいと考え、3社目では営業から運用まで一貫してやりたいと思っていました。それがかなうと考えた50人以下の規模の広告代理店に2021年に転職しました。しかし、その会社は、1カ月目で「合わない」と判断し、半年で退職しました。

なぜ合わないと思ったのでしょうか。

広告の運用という仕事内容は同じでも、細かい作業がとにかく多かったんです。私は、多動性と注意欠陥の特性があり、ADHDの診断も受けています。銭湯に行くと鍵を忘れたり、忘れ物が多かったりするんです。そのかわり、ひとつのことを突き詰めて考えていくのが得意ではあります。 3社目は、担当するクライアント数が少ないのは思った通りで、営業から運用まで「一気通貫」する体制がありました。しかし、それはチームのリーダーの話であって、私はアシスタントのポジションでしたので、裁量があるわけではありませんでした。 アタマよりも手足を使う職場で、ミスが増えるなかで、怒られることも少なくなく、自己肯定感も下がりました。また、プロジェクトリーダーになるのにも2年くらいかかるという話もあり、心が折れ、メンタル的にも沈み込み、退職する方向となりました。

退職するにあたって「辞めすぎでは」ということは考えましたか。

3社目に在籍しているときから、「ジョブホッパー」、もしくはその予備軍という認識がありました。そろそろ経歴に傷がつくから、転職したくなかったのがホンネですし、転職しない方法がないか探りもしました。しかし、イチから立て直せないし、自分がいきいきと働いているような未来図も浮かばない。やめて失うものがあるのは理解していましたが、それでも辞めて次の会社にいくほうがよい、と判断しました。

最終面接で「きみジョブホッパーだよね」

現職に入るときの転職活動はどのように進めましたか。

広告主とコミュニケーションして、スキルを上げていくのではなく、広告主側に回ろうと考えました。かつマーケティングの職種で、扱う商材にはこだわりませんでした。なので、「大きくても200人規模の事業会社」の「マーケター」に絞って、20~30社は応募しました。ツールとしては、企業とダイレクトにやりとりできるSNSやサイトを使いました。

短期間で会社を変えたことが、「ジョブホッパー」的に解釈された経験、もしくはそう推測されるような経験はありましたか。

ありました。20~30社応募して、返事がきたのは10社くらいでしたので、それまでの転職活動より渋い結果となりました。十分な確率という考え方もあるかもしれませんが、それまでの転職ではほとんど応募した会社から返事があったので、改めて実情を知って、キツいと感じました。また、最終となる3次面接でその会社の役員から「きみジョブホッパーだよね」「実績ないよね」と言われて、内定をもらえなかった企業もあります。

なかなか厳しいですね。

ただ、「2社目は2年続けた」という部分については評価がわかれました。反応が悪いこともありましたが、2年間であっても、会社内で後輩を育てるポジションやプロジェクトリーダーを任されたことを、「ある程度の実績」として評価されることもありました。「長い」「短い」というのは、担当者や会社によるな、とも感じました。

武内製薬の面接はどのように進みましたか。

武内製薬の面談・面接は2回でした。最初に配属先の上司とオンライン面談をして、次は社長と取締役でした。2回目の面接では、経歴の短さには触れられませんでした。むしろ、経歴のなかで、広告運用のスキルについて評価してもらえました。 また、リーダー層やその候補が不足していて、そこにフィットする人材を探しているという話や「今までやってこなかった自社ECにおける商品販売をのばしていきたい」という話もあり、これまでの経歴をポジティブに捉えてくれているようでした。面談のなかで、会社と私のやりたいことを擦り合わせていく感覚でした。

ほかにも内定が出た会社はありましたか。

結果からいうと、現職を含めて、4社から内定をもらいました。ほかには、BtoCの金融のWebサービス提供のスタートアップ、介護系のWebメディア運営の会社などです。年収的には金融系のところが他より30~40万円高くて、2社は前職と同じくらいのオファーでした。

出社頻度は「多いほうが良い」

3社の中から武内製薬を選んだ理由はなんだったのでしょうか。

いくつかの評価軸をつくって、点数化して整理しました。「人が合いそうか」「事業の成長性」「給与」「面接などで聞いた残業時間」などで、現職はいずれも高い数値でした。商材にはそこまでこだわりがなかったのですが、金融や介護といった自分にとって、縁遠い商材でなく、化粧品や健康食品など自分が多少なりとも使うからユーザー目線にもなれるという意味で、現職が良かったこともあります。 また、「出社頻度」については、多いほうが良い評価としました。フルリモートってどうしても手を抜きがちになってしまい、苦手なんですよ。また、2社目で、仕事が終わったあとに同僚とのみにいくなどの交流ができたのも、良い思い出だし、いろいろ世界が広がった気がしています。金融系の会社は待遇は良かったのですが、フルリモートな点がマイナス材料になった側面があります。

入社後の仕事はどのようなことをしていますか。

入社直後はAmazonのEC広告の担当でしたが、3カ月経過したタイミングで、会社として、他の大規模プラットフォームのモール依存から自社ECサイトを立ち上げることになりました。対象商材は注力領域の1つであるプロテインでした。そのとき、広告代理店において、クライアントの自社ECへの集客の支援経験があった私に声がかかりました。 最初は1人のメンバーとして入りましたが、提案もしましたし、自分から社長とのミーティングを組んだりもしていました。その後、プロジェクトリーダーを任され、商品開発まで全体を統括することになりました。今は成果が全社的に認められてプロジェクトが事業部化し、6人のプロテイン事業部の部長となりました。ブランディングや商品開発、マーケティング全般を担当しています。 現時点でのキャリア展望としては、今持っている事業を成功させ、3年後の数字目標を達成させることです。しっかり数字を上げれば給与も上がる。事業を大きくすることで、自分や関わるチームメンバーの存在感も上げていくことだけを考えている状況です。

今の会社で、積極的に働けているのはなぜでしょうか。

率直に「もう後がない」と思って臨んだのが大きいと思っています。前職では「自分はコスト」という認識が強かったんです。「ここで頑張らなきゃ人生は終わる。ダメなら(地元の)青森に帰ってバイトでもしよう」と思いながら仕事をしていて、2022年は「どん底からはいあがるためにどんな理不尽でも受け入れて頑張れ」と部屋に張り紙をしていました。 でも、他の会社でも、同じように頑張れたとも思っていません。心機一転したとして、前職のような自分に合わない会社なら頑張れなかったと思います。自分のなかで頑張りたい気持ちに加えて、会社の雰囲気や業務特性が自分にマッチした結果だと思います。

「嫌なこと」や「苦手なこと」から考える

ジョブホッパーだった時期を経て、現在は1つの事業の部長となっています。その活躍の場にたどり着けたのはなぜだと思いますか。

会社選びの基準を整理できていたことが大きいです。失敗も含めて、いろいろ経験したことで、自分にとって「嫌なこと」や「苦手なこと」というのは解像度があがってきていて、その結果として、合う会社がわかってきたことがあります。だからこそ、現職に入るときの、客観的な項目に落とし込んで考えられたと思っています。それができなければまた失敗したかもしれません。

他のジョブホッパー、それに類するような経歴に見られがちなかたに伝えたいことはありますか。

年齢に比べて転職回数が多い場合、「嫌なこと」や「苦手なこと」から、考えてみるのがよいと思います。また、自分もそうでしたが、「まだいい職場が他にあるはずだ」という考えには、キリがないように思います。ある程度、「嫌なこと」「苦手なこと」を考えた結果、70%くらい自分に合った職場が見つかったのであれば、「ここでうまくいかなければ次はない」と思うくらいに自分を追い込んでみるのもよいように思います。 本記事についての簡単なアンケートにご協力をお願いします。 アンケートはこちら

写真:的野 弘路 掲載日:2023年4月17日