「私と同じような人はいますか?」 2児の母が、社風見極めに投じた質問

海外生活から帰国後、派遣社員から正社員とキャリアを積み上げた飯田祥子さん(仮名)は、「女性が活躍できる成長企業」を求めて2023年に転職活動を始め、強みの英語を生かしたマーケティング職を射止めました。率直なやり取りの中で社風を探り、交渉を通じて年収は1.4倍になったといいます。自身の転職活動を振り返ってもらいました。

飯田 祥子(仮名)

新卒で入社した企業に約5年間勤務した後、夫の転勤に伴って20歳代後半~30歳代前半を海外で暮らす。2020年に帰国後、派遣社員として働き始めた企業で正社員となり、23年春に外資系メーカーに転職。2児の母。36歳。

「書類が全然通らなかった」派遣社員からスタート

経歴を教えてください。

新卒で入ったベンチャー企業で、広告制作や商品企画に携わりました。それから夫の転勤に伴って5年ほど海外で過ごしました。2020年に日本に帰国後、夫が在宅で働けることもあり、派遣社員としてキャリアをリスタートしました。

帰国後の求職活動が難航したそうですね。

ボロボロでした。50社くらい受けたんですけど、とにかく全然書類が通らなかったんですよね。通過した3社も面接で落ちてしまいました。 長い離職期間があったこともありますが、昔の仕事の成果を説明するのが難しかったです。面接でもイマイチ会話がかみ合わない感じがしました。小さな子供が2人いることも、歓迎はされていなかったように感じます。

そこからどうキャリアを切り開きましたか。

ヘッドハンターから「まずは派遣から始めませんか」と勧められ、メーカーで派遣社員として働き始めました。電話対応や受注入力などの業務だったんですが、やがてカスタマーサクセスの部署で正社員にしてもらいました。 正社員になった後も、マーケティング関連の仕事に関わるようにしていたら、マーケの部署に異動できました。自分で目標や課題を設定できる行動力を評価してもらったようで、周囲からは「かなりレアケースだ」と言われました。

提案をしても「確かにそうだよね」で終わる

希望の部署についたものの、転職を考えた理由は何でしょう。

「本当にここでキャリア形成していけるのかな?」という不安が大きくなったことが理由です。働き方や職場の人間関係に不満はなく、仕事自体は楽しかったんですけどね。

どのような点から、不安を感じましたか。

年齢の高い男性が比較的多い職場で、女性や若い人の挑戦を後押しするような人事制度もありませんでした。女性もほぼバックオフィス系の部署にいて、営業やマーケで活躍している人はあまり見当たらない環境でした。 業績としても会社の利益は減っていて、もっとトレンドを探るような新しい挑戦が必要なのは明白でした。なのに、逆に守りに入っている雰囲気で。何かを提案しても、「確かにそうだよね」と言われて、流されて終わり、みたいな感じで。

切ないですね。

自分一人で動いてもいいんですが、予算が必要な場合には限界がありますし。会社が成長しないと収入が伸びないことも分かっていたので、歯がゆかったです。経営者の好みでインセンティブに傾斜がつくなど、不透明な評価制度にも納得できず、2023年春に転職活動を始めました。

「私と同じような人はいますか?」

転職活動はどのように進めましたか。

まずは職務経歴書を書き直してキャリアの棚卸しをし、2つの転職サービスに登録しました。広告やITなど幅広い業界で15くらいの求人に応募しました。帰国時の求職経験から「面接に到達しないとダメだ」と思ったので、意識して多めに受けた気がします。 前回と比べたら順調に進みました。直近の職歴があり、しかも派遣社員からステップアップしていたことも好印象のようでした。意外と忘れがちな過去の実績などは、職務経歴書以外にメモを用意するなど工夫しました。あとは回数をこなし、場慣れしていきましたね。

企業選びでは何を重視しましたか。

①留学や海外生活の経験を生かせるグローバルな職場環境であること、②女性が活躍できる職場であること、③企業が成長していること、の3つです。面接で違和感があれば、こちらから選考を辞退することもありました。

辞退の基準はなんでしたか。

ここは感覚の話なんですが、子供がいることを伝えた時の温度感です。否定的なことをやんわり言う人や、嫌な顔をする人がいたら、「ご縁がなかったな」と思うようにしました。ちょっとした違和感ですが、結構、伝わるんです。

活躍できるかどうかの実態は、ほかにどう確かめましたか。

面接で「私と同じような人(子供のいる女性)はいますか?」と聞きました。「います。柔軟に働いています」と回答されたら、「『柔軟に』ということは、勤怠を切った後、夜寝る前にちょっと業務する人もいますよね?」と、そこまで確認しました。 会社にとっては具合の悪い質問だったと思いますが、私としては、その方が働きやすかったので。もちろん子供の就寝前に仕事が終わることが健全ですが、そうできない繁忙期に、そうした柔軟さが許されるかどうかを率直に尋ねました。

ほかの条件はどのように確認したのでしょう。

働き方や待遇など、直接聞きにくい情報はヘッドハンター経由でも得ました。売上高や従業員数、取引先に大手企業がいるかも調べて、成長性を見極めましたね。これも「うちの取引先には大手の〇〇社がいます」とPRされたことをきっかけに編み出した考え方でした。

数年後のポストを尋ねて将来をイメージ

最終的には、何社の内定を確保しましたか。

1か月半ほどかけて、2社から内定が出ました。現職の外資系メーカーと、広告代理店です。

面接に手ごたえはありましたか。

率直なやり取りが評価される感じは、確かにありました。現職の面接で、知らない業務について「経験がなく分かりません」と答えたことがあったんですが、それがかえって良かったみたいで。人事の方から「分からないままにしない姿勢が、高く評価されました」とフィードバックを受け、ホッとしたのを覚えています。

逆に、会社の雰囲気などは面接で把握できましたか。

内定をいただいた2社とも、「他の会社でも選考が進んでいる」と伝えたんですが、「じゃあ足並みをそろえますね」と言っていただきました。採用への本気度に加え、人を尊重してくれる会社だな、ということも感じましたね。 「数年働き続けたら、どんなポストに就けますか」とも質問しました。両社ともハッキリ答えてくれたんです。「このブランドをリードしてほしい」とか、「課題解決の提案もできるセールスを目指してほしい」とか。将来のキャリアが想像でき、安心材料になりました。

年収交渉の発端は「それしかもらっていないんですか」の一言

最後は、どのように選んだのでしょうか。

どちらも働く環境としては素晴らしかったんですが、勤務地が自宅に近く、年収交渉にも成功した現職を選びました。

年収交渉されたんですね。どれくらいの水準でしたか。

前職の年収が450万円以下だったんですが、思い切って1.4倍の金額を提示しました。話を聞く限り、それに見合うくらいの業務量と責任だなと感じたので。結果的に、希望通りにオファーをいただきました。

思い切りましたね。

そもそもの発端は、選考過程で年収を現職の人事に伝えた時、「英語が使えてマーケもしているのに、それしかもらっていないんですか」と言われたことでした。その時に初めて、自分の年収が低いんだと自覚しました。

ひそかに打診はあったんですね。

「適正年収だとこれくらいですね」という話は軽くされました。でも、私はそれよりも高い金額を提示しました。最後は人事の方が「本来は難しいんですが、交渉してここまでできました」と言ってくれました。

広告代理店とは年収交渉をしなかったんですか。

「最初はバックオフィスの業務から初めて、1年後にセールスポジションに」という話でした。セールスに行けば年収は上がると言われていたので、交渉はしづらかったですね。

帰国時とはまったく違った転職活動の体験になりましたね。

自分のできる範囲で、目標を達成する過程を楽しみながら、コツコツ積み上げたのが良かったんだと思います。転職を1回失敗しただけで人生が終わるわけでもないですし、挑戦し続けることも大事ですね。 ただ、帰国直後に感じた「子供を産んだ女性って、日本では評価されない存在なんだな」という悔しさは今も覚えていて、その状況を変えたいという思いは変わりません。子供たちには、働いて活躍する女性としての背中も見せたいです。 本記事についての簡単なアンケートにご協力をお願いします。 アンケートはこちら

掲載日:2023年12月25日